就職氷河期世代・二児の母が親世代の「専業主婦家庭の完璧育児」の呪縛から解放されるまで
「自分の子にあった育児法」を再構築する
わたしには、そんな、猛烈と形容される、母の育児が“理想”――言い換えると“こなすべき最低レベル”として刷り込まれている。それを難なくこなすことが出来れば苦しみはないのかもしれない。けれど、出来ない自分がいる。
勝手に理想を立ち上げて、それが叶わないと言って苦しむのは、自分で解決すべき問題かもしれない。けれども、驚くのは保育園などで知り合った年下のママたちの、伸びやかさだ。「朝は忙しいから、焼いてない食パンを自転車に乗せながら食べさせる」と朗らかに笑い、忙しい夕方の迎えの時間、保育園のエントランスにある水槽に夢中になっている子どもをのんびりと30分も待っていられたりもする。
一方で“理想=こなすべき最低レベル”に囚われているわたしは、朝、ダイニングテーブルについてくれず、布団の上でトーストをかじる息子に苛立ちを覚え、夕方は就寝時間を遅らせないために、さっさと息子を抱きかかえて、駐輪場へと急いでしまう。
育てにくい長女の存在に、自らの“理想”をことごとく打ち砕かれた真奈美さんは、自分が母親にされていたような「上の立場からコントロールする存在」から降り、子どもと同じ目線に立つことで、子どもたちに選択を委ねるという、自分の育児法を身に着けた。
“理想=こなすべき最低レベル”は、ロスジェネ世代のわたしたちが、その親世代の子育てに、勝手に囚われてしまっているだけだ。だからこそ、その内在化を捨てて、「自分の子にあった育児法」を再構築することこそが、ロスジェネ世代のママたちが生きやすくなるひとつの方法なのではないだろうかと思う。思うのはたやすいのだけれど。
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