就職氷河期世代・二児の母が親世代の「専業主婦家庭の完璧育児」の呪縛から解放されるまで

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ロールモデルは親世代の専業主婦家庭

 みな、育児には、多少なりとも理想を抱くものだと思う。特に第1子の場合、その期待を大きくかけてしまいがちで、時に“理想”と“現実”が一致しないことに苦しむこともある。けれども、そもそもその“理想”のモデルはどこから来ているのか。話を聞いていく中で、真奈美さんとわたしとの間には、あるふたつの共通点があることに気が付いた。

 ひとつは“世代”。わたしは1977年、真奈美さんは1976年生まれ。ちょうど社会に出ようとした頃は、バブル崩壊後の就職氷河期。それまで当たり前のようにあった正社員の就職先が少なく、非正規雇用などで職を転々とする人が多く出ることになった、いわゆる“ロスジェネ”と呼ばれている世代だ。最近では“人生再設計第一世代”なんて言い換えが提案されもしているが、いわゆる割を食った世代だと思う。

 わたし自身も「これからは女も働かないとダメ。だから、きちんとした会社の正社員になったほうがいい」という母の薦めに従って、就職活動をしたものの、実を結ばなかった。どれだけエントリーシートを書いても面接まで進むことが出来ず、ただひたすらに「なぜわたしはダメなんだろう」と傷つきながらも自問する日々だったが、それに追い打ちをかけるように、母親からは「努力不足」と断じられていた。

 そう。もうひとつの共通点は“母親”だ。

 内閣府の男女共同参画白書(平成30年版)によると、2017年時点で、共働き世帯が1188万世帯に対して専業主婦のいる世帯は641万世帯となっている。一方で1980年の時点では、共働き世帯が614万世帯に対して専業主婦のいる世帯は1114万世帯となっている。

 ロスジェネ世代は、専業主婦家庭で育っている率が高い。我が家も、家族の形としては、高度経済成長期を代表とする、核家族の専業主婦家庭だったし、大手出版社の週刊誌の政治班デスクだった父は、ほぼ家にいることがなく、専業主婦だった母が、長女のわたしを含む3人の子どもを、ほぼワンオペで育て上げた。

 もちろん母自身が、その状況を望んでいたわけではない。母のライフヒストリーを尋ねたところ、産前は出版社で漫画編集者として働いていたが、当時は育休制度そのものが整備されておらず、実家は遠くて頼ることが出来なかった。それでも義実家の手を借りるなどして頑張ったものの、結局、仕事と育児の両立が無理だと悟り、退社して家事育児に専念することになったという。

 育児から手が離れたら、すぐに資格を取って社会に復帰したことを考えると、ずっと「本当は働きたかった」という無念があったのだと思う。だからこそわたしには、結婚や出産を経ても働き続けられるような「きちんとした会社の正社員」になることを薦めたのだと思っている。

 そして、望んで専業主婦になったわけではないにもかかわらず、母は主婦として相当な頑張りを見せていたとも思う。すべての家事育児を一人でこなすばかりではなく、生協に入って健康にいいといわれている食材を使ったご飯を毎日3食わたしたちに食べさせ、おやつはプリンや食パンの耳のドーナツなど、素朴で健康にいいものを手作りし、寝る前には毎晩必ず絵本を読み聞かせてくれていた。

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