神戸6歳女児「わいせつ殺害犯」が死刑破棄…「裁判員裁判は何のため?」遺族語る

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「永山基準」を優先するな

 最高裁が今回の決定をするにあたり、「公平性の確保」、つまりバランスを重視したことは前述した。

「裁判員裁判の死刑判決が高裁で覆された5事件のうち、被告を死刑にしたとしてもそれほど『公平性』が損なわれないのが、今回の事件なのです」

 そう話すのは、元裁判官で弁護士の森炎氏。

「仮に今回の被告を死刑にした場合、判決後は、幼児に対するわいせつ目的誘拐殺人事件は死刑になる可能性が当然高くなるでしょう。しかし、わいせつ目的の幼児誘拐殺人事件は非常に少ないから、死刑対象者が著しく増減することはなく、混乱を招く可能性は低い。つまり、『法の安定性』をさほど欠くことなく、市民感覚を死刑基準に反映できる可能性があったわけです」

 しかし、高裁や最高裁は杓子定規に「永山基準」や先例に倣い、死刑判決破棄の判断を下したのだ。結局、

「裁判官が『被害人数』、『計画性』などとインデックスをつけ、等しく刑を下そうとすること自体がおかしいのです」

 と、先の渡辺氏は断ずる。

「もしそうするのであれば、裁判員制度など止めて、裁判官だけで死刑にするかどうかを決めれば良いでしょう。画一化した判断ではなく、事件一つ一つの重みに即して、その地域の市民の良識を判決に反映させるというのが裁判員裁判の趣旨だったはずです。裁判官がこれまでの量刑基準にこだわるのが間違っているのです」

 評論家の呉智英氏も、

「永山基準は36年前に示された基準の一つに過ぎず、未来永劫続くものではありません。前例はあくまで前例で、裁判員制度という決められた制度の趣旨よりも優先されるべきではない」

 として、こう語る。

「しかも、永山基準はこれまで完璧に踏襲されてきたわけではありません。山口県光市の母子殺害事件や名古屋の闇サイト事件ではそれが適用されずに死刑判決が下された。完全に適用されてこなかった基準と『法の安定性』を結びつけると、論理的なずれが生じてしまうのではないでしょうか」

 裁判員裁判がスタートした当初の「出席率」、すなわち、裁判所から呼び出しを受けた裁判員候補者のうち、選任手続きに参加した人の割合は、83・9%だった。それが昨年には、67・5%まで低下している。

「高裁で覆される裁判にわざわざ参加する意味がないと思うのは至極当然のことです」(渡辺氏)

 裁判所の「非常識」により、制度の根幹が揺らいでいるのである。

週刊新潮 2019年7月18日号掲載

特集「神戸6歳女児『わいせつ殺害犯』が公平性で『死刑破棄』なら『裁判員裁判』はいらない」より

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