神戸6歳女児「わいせつ殺害犯」が死刑破棄…「裁判員裁判は何のため?」遺族語る
「何のために裁判員裁判をしたのか」。最高裁の決定後に出された遺族のコメントが全てを物語る。一審の死刑判決を破棄し、無期懲役とした二審判決が確定する「神戸女児殺害事件」。同様のケースが相次いでおり、識者からは「裁判員制度の否定」との声も上がる。
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今年は裁判員制度が始まって10年という節目の年である。この制度の主たる目的は、一般人が裁判に関わることにより、その内容に「社会常識」を反映させること。硬直化した裁判所に「常識の風」を吹かせよう、というわけで、最近、性犯罪が厳罰化される傾向にあるのはその「風」の一つと言えよう。
しかし、である。
裁判所のお歴々たちは、全ての「風」を受け入れるつもりではないようだ。一般の人々が悩みに悩み、徹底的に討議した結果、導き出した「死刑」という結論。それが高裁でいとも簡単に覆され、最高裁もそれを是認する、という事態が相次いでいるのだ。自分たちが受け入れがたい「風」は徹底的に排除する――職業裁判官たちの執念は恐ろしいほどである。
最高裁第1小法廷が7月1日付で検察側の上告を棄却する決定を出したのは、何の罪もない6歳の女児が無職の男にわいせつ目的で連れ去られ、殺され、その遺体が切り刻まれた事件に対して、である。殺人などの罪に問われた君野康弘(52)に対し、一審の裁判員裁判で死刑判決が下されたのは2016年。が、翌年、大阪高裁はこの死刑判決を破棄して無期懲役とした。そして今回の最高裁の決定により、無期懲役が確定することになったのである。
09年に裁判員裁判がスタートして以降、一審の裁判員裁判で死刑判決が下されたものの、二審で職業裁判官によって無期懲役に減刑された例はこれまでに5件ある。東京・南青山の男性殺害事件、千葉・松戸の女子大生殺害事件、長野の会社経営者一家殺害事件、大阪・心斎橋で起こった無差別通り魔事件、そして、今回の事件で、それぞれの罪状などについては掲載の表を参照していただきたい。このうち、南青山と松戸と今回の事件では、死刑を回避すべき理由として、最高裁は「公平性の確保」なる概念を用いた。
元東京地検特捜部検事で弁護士の高井康行氏が言う。
「命を奪う死刑と、それ以外の刑罰には圧倒的な差がある。裁判官はそう考えた上で、法の下の平等、公平性を重視し、慎重になっているのです」
すなわち、事件の残虐性や遺族の処罰感情より、先例との「バランス」を重視した、ということである。
最高裁が「永山基準」と呼ばれる死刑の適用基準を示したのは1983年。4人連続射殺事件を起こした永山則夫元死刑囚に対して最高裁判決が下される際に示された基準で、「動機」や「犯行態様」など9項目に分かれている。中でも特に重視されてきたのが「被害者の数」で、これまで、被害者が1人で計画性がない事件では、死刑が回避される傾向があった。
「一審の裁判員裁判では、永山基準についても判断材料の一つとして、評議に参加した裁判官が裁判員に説明しています。つまり裁判員は先例を踏まえた上で死刑という判断をしており、これは裁判員裁判のあるべき姿だと言えます」
そう語るのは、元東京地検特捜部副部長の若狭勝氏。
「裁判員は仕事を休み、体調を崩すほど苦悩を重ねた上で量刑を判断しています。それを高裁が過去の基準を理由にひっくり返してしまうのなら、“もう裁判員裁判なんて止めちまえ”と思いますよ。実際、今後は『量刑は裁判官が決める』と宣言しなければ裁判員制度を維持することは不可能。どれだけ裁判員が苦しんで真剣に議論しても意味がないことになるからです」
刑事訴訟法に詳しい甲南大学法科大学院教授の渡辺修氏もこう言う。
「裁判員裁判の最も重要な目的は、死刑か無期懲役か、というような凶悪事件に市民感覚を反映させることだったはず。それなのに、一審の死刑判決を高裁が覆し続けるのであれば、裁判員裁判をする意味がなくなってしまいます。死刑か無期を判断するのに裁判員は必要ない、といっているようなもので、これは制度そのものの否定です」
一審の判断に問題あり、と考えたのなら、なぜ一審に「差し戻す」という方法を取らなかったのか、という点も疑問で、
「プロの裁判官の量刑判断を優先させるために、高裁は自判、つまり自分で判断を下すことにしたのだと思います。これは、裁判員裁判の導入目的である『市民と裁判官の協働』を完全に無視した行為です」(同)
先の若狭氏も、
「高裁の裁判官は、裁判員制度が導入されていることの意義を理解せず、“自分たちが量刑を決める”という固定観念にとらわれているように思います」
と、批判する。
「今回の事件はわいせつ目的で幼い子供を誘拐し殺害した、まさに鬼畜の所業。ご遺族にとっては、死刑だとしても悔しさ余りある事件です。一審では市民感覚が反映されて死刑となったのに、高裁でそれが覆された。ご遺族は魂を2度殺されたようなものです」
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