石井慧が日本を捨てて「クロアチア人」になるまで

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景色も良い

 格闘技界の関係者が言う。

「彼は現役の金メダリストとして総合格闘技に足を踏み入れた逸材でした。本来であれば弱い選手と対戦しながら、少しずつ強さを引き出してあげれば良かったのに、話題を集めるために強い選手とばかりマッチメイクさせられていた。日本に留まればそうしたニーズに応えなければならないと、嫌になったのだと思います」

 スポーツライターの近藤隆夫氏が補足する。

「彼は自分の思いに正直なところがあります。柔道から格闘技への転向も2度の離婚も、自分がそう思えばすぐに動く人。クロアチア国籍取得もメリットを求めたわけではなく、ミルコのもとでずっとトレーニングをしたい気持ちの表れだったのではないでしょうか」

 さて、真意を聞こうと、事務所を通じて本人に取材を申し込んだが、応じてもらえず。大阪の実家に出向くと、石井選手の祖母がこう語ってくれた。

「もう17、8歳の子どもと違うんやから、自分の思うようにやってくれたらええねん。日本で試合があると、向こうへ帰る前に実家に泊まって、“クロアチアは景色も練習環境も良い”と言ってる。慧はブラジルやアメリカにも行って、ずっと自分に合った練習環境を探していた。そんで、いまはクロアチアで頑張ってる」

 その目は少し潤んでいるように見えた。孫が祖国を捨ててまで求めたのは純粋な“強さ”だった。

週刊新潮 2019年7月18日号掲載

ワイド特集「ヒト、この不思議な生き物」より

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