ADHDのキャバクラ嬢が借金完済し「いくら稼いでいるのか分からない」境地に至るまで
気鋭のライター・姫野桂さんが「女性の生きづらさ」について綴る連載「『普通の女子』になれなかった私へ」第10回。今回は一度は東京で就職したものの、一旦地元でUターン就職し、現在は再び東京で働いているキャバクラ嬢にインタビューしました。波瀾万丈の半生を経て彼女が得たものとは一体?
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「なんでも鑑定団」ばりの目利き能力
進学や就職で一度は上京したものの、地元にUターンした女子がいる。今回取材を受けてくれたのは、キャバクラ嬢のホノカさん(30歳)だ。
一度地元である福岡にUターンしたもののもう一度上京して、現在は東京で暮らしている。待ち合わせ場所に現れた彼女は、すらっとした高身長の美女だった。サンローランのシンプルなバッグを持ち、堂々たる立ち振舞いの彼女から、夜の仕事の香りがした。
「私、中高生の頃、姫野さんと同じくバンギャル(ヴィジュアル系バンドの熱狂的な女性ファン)だったんですよ。そして、同じような仲間たちと好きなバンドマンのコスプレをして、プリクラを撮っていました」
屈託ない笑顔でホノカさんは語ってくれた。また、ホノカさんとの共通点は他にもあった。発達障害の一種のADHD(注意欠如多動性障害)持ちであることだ。
私は不注意傾向のほうが強く忘れ物やうっかりミスが多いが、ホノカさんはとにかく多動で、好きなバンドのライブ中も同じ空間にいられず、最低3回はトイレに移動して外の空気を吸いに行くということだった。
「私自身、ADHDだとわかったのはつい最近です。高校の頃、心療内科に通院していたこともあります。親はスパイのように過干渉になり、医師に私がどんな話をしていたのか聞きに行っていたようです。また、私がADHDであることをその頃すでに知らされていたようですが、私は知らされていなくて……。
私、つい最近まで、親が毒親だと思っていたんですよね。でも、おかしいのは私の方でした。未だに親への反抗は続いていますし、ADHDについても理解してもらえていなくて、『なぜ普通の人ができることができないのか』とため息をつかれています」
中学時代、バンドマンのコスプレをしていたホノカさんは、手芸部に入り、学校のミシンを借りて衣装を作っていた。学校で作っていたのは、家だと母親に怒られるからだという。ヴィジュアル系好きにありがちな黒い服も「葬式じゃないんだから」と、親に禁止されていた。クローゼットの中やゴミ箱の中までチェックされていたという。
中学の頃は高校に行きたくないと思っていたが、親に「高校に行けばライブに行ってもいい」と言われ、発奮。無事高校に合格したが、高校では勉強をせず、コスプレのために髪を金髪に染め、いつも生活指導の教師から反省文を書かされる問題児だった。そんなホノカさんだが、特技がある。
「友達から『フンコロガシみたい』って言われるんですけど、アクセサリーを安く仕入れて高値で売ってお小遣い稼ぎをしていました。
オークションでとあるブランドのリングを数千円で売っている人がいるんですが、実はそれはアンティークもので刻印が入っていたり、混じりっけのないシルバーだったりするんです。売っている人は、それがレア物であることを知りません。
当時、そのブランドが好きだったので年代ものの商品について勉強し、数千円で購入したものを、磨いて綺麗にして、本当にその価値を知っている人に数万円で売る、ということをしていました」
まるで、「なんでも鑑定団」ばりのすばらしい目利き能力だ。そうやって稼いだお金をコスプレ衣装の製作費用にあてていた。その目利き力や錬金術の能力は、今のホノカさんの生き方にも通じていることを後ほど紹介したい。
高校卒業後もホノカさんの反抗期は続いた。大学に進学したくなくて、入試は名前だけ書いて白紙で出したので、当然落ちた。ホノカさん曰く、少し自閉スペクトラム症の傾向があるので、「名前を書けば受かる」と言われたことを言葉通りに受けて、本当に名前だけ書いて出してしまったという。
親からはとにかく大学は出てほしいと言われ、その後予備校に通うものの「あなた、頭が悪すぎて受けられる講義がないから模試だけ受けて」と言われたという。しかし、ツアーで回ってきたバンドワゴンが東京へ帰っていくことから東京への憧れが募ったのと、とにかく親元を離れたかったので、東京に出たいと思うようになる。
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