「虐待は他人事じゃない、自分もする可能性がある」と幸せな家庭の一児の母が気づいた日

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虐待なんて、どこか特殊で荒んだ家庭の話だと思ってたのに

 あれはまだ、息子がよちよち歩きを始めたばかり、1歳過ぎ頃のある晩のことだった。いつものように夫は仕事で家にはおらず、いわゆるワンオペの状態で、息子とともに寝室に敷いた布団の上で、絵本を読んだり歌をうたうなどして、就寝までの束の間の時間を過ごしていると、スマートフォンに1通のメールが届いた。開いてみると、やや急ぎの仕事の案件だったので、そのまま返信のメールを打ち返していると、息子が腕にしがみついてきたのだ。

「ママ、お仕事のメールをするから、ちょっと待っててね」と言い聞かせても、ブーブーと唾を飛ばしながら、身体を押し付けて邪魔をしてくる。「わかったから、ちょっとだけ待ってて」といっても、まるで言うことを聞いてくれず、遊べ、かまえ、自分がここにいるのに、ほかのことに気を取られるなとばかりに、絡みついて離れない。次第に苛立ったわたしは「ちょっと待ってって、言ってるでしょ!」と思わず声を荒げて、そして息子の両手を掴むと、そのまま仰向けに倒す形で、布団の上に強く押しつけていた。

 ぽかんとわたしを見上げる息子の顔を見て、はっと我に返り、慌てて手の力を緩めた。たまにふざけて、息子を仰向けに転がしてじゃれ合うことはあるけれど、それとは力のこめ方はもちろん、何よりもわたしの心持ちがまったく違う。これは暴力だ。息子はその差を感じているのかはわからないけれど、ただ少しびっくりしたような表情をし、手をバタバタとさせて、わたしの腕から逃れた。

 その瞬間まで、虐待なんていうものは、どこか特殊で荒んだ家庭の話だと思ってた。けれど、そうじゃない。自分だってする可能性は十分にある――地続きであることを、嫌というほど実感した。

 昼間は保育園に行っている息子と一緒に過ごすのは、たった数時間のことなのに、なぜわたしは息子をもっと慈しめないんだろう。どんよりとした罪悪感に襲われながら思った。わたしのように「あまり、いい親ではないかもしれない」と悩んでいる母親は、少なくないのではないだろうか。そうやって苦しんでいる女性の話を聞き、なぜわたしたちは、育児をつらいと感じてしまうのか、一緒に考えたいと思った。

 今回、話を聞かせていただいた真奈美さん(仮名・43歳 家族構成:長女9歳、長男5歳、飼い犬15歳、夫とは現在は離婚)も、子育てに苦しんできた女性のひとりだ。

「娘は不妊治療で、授かるまでに3年かかったんですよね。治療の間って、いろんな理想を思い描くじゃないですか。子育てに対するいろんな憧れがあったんです。でも、生まれてすぐにそのギャップに驚きました。赤ちゃんってこんなに面倒くさいんだって。2日目には『なんでこの子、産まれてきたんだろう。悪魔の子なんじゃないか』とさえ、思っていました」

 もともと膠原病の疑いのあった真奈美さんは、ハイリスク妊婦ということで、地元の産院には受け入れてもらえず、某大学病院の産科で、第1子となる長女の絵美ちゃん(仮名)を出産。2110グラムと平均を下回る小さな赤ちゃんだった。

「手足も割り箸みたいに細くて、身長も45センチくらいしかなくて。小さく生まれたから、この子をちゃんと育てなきゃっていう強い責任感がありました。その病院は、生まれたその日から母子同室だったんですが、夜中に授乳の時間を知らせに、助産師さんがまわってくるんですよ。母乳なんて全然出ないのに、とりあえず吸わせろと。娘は吸い付きが悪くて、哺乳瓶も嫌がって全然泣き止まなくて。

 2日目の夜に、ギャーギャー泣いているのをなんとかしようとして、寝かせてあったコットを押して、病院中のいろんなところを徘徊してたんですけど、途中で何人も看護師さんに会ったのに、誰一人も声をかけてくれなかったんです。わたし、難民みたいだなって思って、あんなに孤独を感じたことはなかった。だから、病院にいる時からもう、娘に対する恨みがあったんです」

 授乳は、母親が最初に直面する、育児の困難のひとつだ。母乳で育てようと考えた場合、軌道に乗るまでは頻回授乳といって、1~3時間ごとに1日8回以上の授乳をするようにと指導される。もちろんすぐに豊富に出る人もいるけれど、生まれたての頃は、赤ちゃん側も吸うのが下手なこともあって、なかなか上手くはいかない。真奈美さんは、母乳だけではなく、搾乳を試したり、市販の粉ミルクを与えたりと、試行錯誤をするものの、どうしてもうまくいかず、次第に追い詰められていく。

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