「盗票」が嘘と見抜かれた「イスタンブール市長再選挙」

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 6月23日にやり直されたイスタンブール市長選挙では、野党連合の「共和人民党(CHP)」候補エクレム・イマムオールが54.2%の得票率で、与党連合の「公正発展党(AKP)」候補のビナリ・ユルドゥルム(45.0%)に9.2ポイント差をつけて当選した。与党の「自党の票が盗まれた」との主張を有権者がフェイク(嘘)と見抜いたからである。

 この結果は、有権者とレジェップ・タイイップ・エルドアン政権にとって何を意味し、今後にどのような影響を与えるのか。本稿ではイスタンブール市長選挙やり直しの経緯、選挙結果、選挙後の政界動向を概観し、4年以内に実施される大統領・国会選挙を展望する。

3月は僅差の結果

 2019年3月31日に実施された統一地方選挙で与党連合(AKPと「民族主義者行動党」=MHP)は、全国平均で52.1%を得票した(県・市議会選挙合計得票数を基準、内訳はAKPが42.4%、MHPが9.7%)。これは2018年6月の国会選挙での与党連合の得票率53.7%(AKP42.6%とMHP11.1%)を1.6ポイント下回ったにすぎない。

 全国平均の選挙結果からすると、このように与党連合は相対的優位を維持したものの、AKPとその前身政党が1994年以来握っていたイスタンブールやアンカラなどの広域市長選挙で敗北した。そのうちイスタンブール市長選では、1位のイマムオール(イスタンブール県内のベイリクドュズュ前市長)と2位のユルドゥルム(元首相、前国会議長)の得票差が、当初は0.3ポイントしかなかった。そのことは、AKPに異議申し立ての根拠を与えた。

電球ロゴに印を押した有権者

 AKPは選挙担当副党首であるアリ・イフサン・ヤヴズを中心に、4月2日に集計結果に対する異議申し立てを行った。AKPは当初、投票所別集計結果の誤入力の修正を求めたが、同修正でも得票順位が変わらないと、次々に新たな要求を出した。高等選挙委員会により認められた結果、イスタンブール県内の全投票所において無効票の見直し、さらに一部の投票所では全票再集計が行われた。それでも得票順位は変わらなかった。

 ただし両者の得票差は1万4000票(有効投票数の0.17%)と、当初の2万5000票から縮まった。無効票の見直しでAKP票が相対的に増えたことをもってAKPは、自党への票が意図的・組織的に無効にされ「盗まれた」と訴えた。実際の原因は、AKPの選挙スローガンの失敗にあったが、その事実は親与党メディアの「盗票」宣伝にかき消された。

 AKPは選挙スローガンに「電球に印を押そう!」を採用した。電球はAKPのロゴマークである。トルコでは投票の際に、投票用紙の政党ロゴマークの下にある白丸(○)の中に「Evet(はい)」という印を押す。しかしスローガンに忠実に従ったAKP支持者は、印を押すべき〇ではなく電球ロゴの上に印を押した。その押印が、夕刻に暗い場所で行われた開票作業で見落とされ、無効票扱いとなっていたのである。

再選挙決定に寄せられた疑義

 見直し集計で選挙結果を覆すことができなかったAKPはさらに4月16日、(1)投票資格が無い有権者による投票があった、(2)一部の投票所委員会の委員長や委員が(法律が求めた)公務員ではなかった、との理由でイスタンブール市長選挙のみについて無効とやり直しを訴えた(市会議員などその他の選挙結果は与党優位だったからである)。

 高等選挙委員会は中間決定で(1)を退けたものの、5月6日に(2)の理由を認めてイスタンブール市長の再選挙を7対4の多数決により決定した。

 その決定にはAKP支持者も含む世論から疑義が寄せられた。

 第1に、地方選挙では1つの封筒に4つの投票用紙を入れて投票する。イスタンブール県での場合、イスタンブール広域市長、市会議員(一部が広域市会議員になる)、市長、町長を選ぶ。同じ封筒に入れられた4票のうちイスタンブール市長選の票のみが不正で無効との判断は理屈に合わない。この矛盾は、再選挙戦においてAKPの「盗票」宣伝をイマムオールが崩す有力な根拠となった。

 第2に、投票所委員会(合計7名)には公務員と定められている委員長と委員の各1名以外に主要政党の代表者5名が含まれる。集計は与野党代表者の監視下で行われ、投票結果の議事録には全員が署名する。委員長や委員が仮に公務員出身者ではなかったとしても不正を行うことは非常に難しい。加えて、これまでも投票所委員(長)となるべき公務員が見つからない場合は民間人が就いてきた。

 高等選挙委員会の再選挙決定の理由書は5月23日にようやく発表されたが、そこには新たな理由も加えられていた。この追加理由は、当初の理由が世論を説得できなかったため用意されたと見なされた。同時に理由書では、少数派4名の委員による、“仮に一部の投票所委員会の構成に瑕疵があったとしても、それが選挙結果を左右したと判断できない”との反対意見が表明されている。

 AKP支持者を対象にして再選挙決定後に実施された集団面接調査でも、再集計は真っ当な手続きであるが、再選挙は受け入れられないとの考えが表明された。再集計は有権者の意思をより正しく反映するのに対し、再選挙は有権者の意思を無視するとの理由だった。

エルドアンの変心

 エルドアン大統領は選挙直後の演説では、イスタンブール広域市長を(野党に)譲ったとしても市議会議員や一般市長では多数派であると述べ、選挙結果を受け入れる態度を示していた。

 しかし選挙から1週間後、1万4000票程度の票差では勝利とは言えないし、選挙にも不正があったと主張。さらに約1カ月後、エルドアンは市民が再選挙を求めているとして、再選挙を要求したのである。なぜエルドアンは変心したのか。

 AKPの中で特にイスタンブール市政を手放したくない一部勢力が、エルドアン大統領を再選挙に持ち込むよう説得したとの証言が、複数のAKP筋から流されている。

 イスタンブールはトルコ経済の中心(GDP=国内総生産=の3割を占める)で同市連結予算はGDPの4%に相当する(東京都の連結予算はGDPの2%)。この予算を巡り、入札や発注の不透明性、特定の団体への手厚い補助金支給、公営企業の会計操作などが指摘されてきた。また選挙の際にもイスタンブール市政は、選挙活動のための組織と費用、さらにはシリア難民支援資金をも提供していた。

 とは言え、再選挙はAKPにとって大きな危険を伴っていた。AKP内でも、再選挙で票差がさらに開くとの懸念は強かった。というのも、トルコの選挙においては権利を不当に剥奪された(mağdur)候補を有権者が支持する傾向にあるからである。これに対し再選挙派は、経済状態などに不満を持ち3月に棄権した支持者も、AKP候補が負ける可能性に直面すればAKPに投票すると主張した。

 過去の例を見れば、やり直しを求められた勝者が再選挙で大勝する結果が圧倒的に多く、やり直しを求めた側が勝った例は最近だと2015年の国会選挙しかない。6月にAKPが過半数を喪失し、11月の再選挙で過半数を回復した。しかも11月のAKP勝利の理由はテロ急増と野党連立政権樹立失敗により国民の危機感強まったことだった。

 このような現実を軽視した今回のエルドアンのぶれは、情報源の偏りと判断力の低下を示している。エルドアンが中央銀行総裁を、トルコ政府としては初めて、7月5日に解任したのもその現れである。

騙されなかった有権者

 今回の再選挙では、イマムオールとユルドゥルムの得票差が、3月31日の選挙の0.3ポイント(当初)から9.2ポイントへ8.9ポイントも広がった。3月の投票結果はもっぱらAKP支持層の経済状況への不満を反映していたが、6月選挙でのAKP候補の落ち込みは、選挙やり直しへの反発が主因だった。

 さらに、世俗主義政党であるCHPの候補ながら中道的で宗教教育も受けたイマムオールが、選挙戦当初から政治的立場を超えてすべての市民と対話してきたのに加え、再選挙が決まってからはその戦略をさらにポジティブキャンペーン(たとえば「すべてはとても良くなる」「(汚職でなく)浪費をなくす」などのキャッチコピー)として洗練させたことも大きい。

権力の集中と脆弱化

 今回のイスタンブール市長再選挙は、2017年に導入された集権的大統領制(それまでの議院内閣制を廃止し、大統領に権限を集中)がエルドアン体制を脆弱化させていることを示した。

 第1に、側近政治が幅をきかせることにより、大統領に入る情報に偏りが生じ、合理的判断が下されにくくなった。AKPによる再選挙要求はその典型である。与党幹部は大統領顧問の命令を受ける立場になり、有権者も与党の県・郡支部を通じて政府に陳情することが難しくなった。これは有権者の選好を詳細に把握していたAKP組織の機能低下を招いた。

 第2に、大統領制導入および選挙の過程で、過半数の(議席でなく)票を獲得する必要性から、エルドアンは自分を支持するかしないかの二者択一を迫り、世論を両極化してきた。これはAKP陣営の投票率を一時的に上げるのに役立ったものの、野党勢力の結集を促進した。野党勢力はイデオロギー的にも世俗主義、トルコ民族主義、クルド民族主義、宗教保守と多様であるにもかかわらず、反権力という理由だけでCHP候補を公式ないし非公式に支持したのである。

 エルドアンの両極化戦略は、党内での批判をも許容しなかったため、党内有力者の離反と新党結成を誘発した。経済政策を長く主導していたアリ・ババジャン元副首相と権威主義化への傾向に警告を発していたアブドゥラー・ギュル前大統領による政党、およびアフメト・ダウトール元首相による政党の結成が予想されている。ただし両党とも政治的自由と市場経済を掲げていることは、属人的要素の大きさをも示唆している。

 4年以内に実施される次回の大統領・国会選挙では、現在の野党連合が維持できるかが最大の焦点となる。特に、他党出身の大統領候補を支持する政党が議会選挙などで見返りが期待できない場合、交渉上を有利にするために中立的な立場を取るはずである。特にAKPからの分派として結党が予定されている2つの中道右派政党は、これまでCHPが中心だった野党連合に新たな競争関係をもたらす。

 統一地方選挙ではイマムオールなど中道的な候補に対してCHP支持者はそれら候補が自党出身だったために票を投じた。しかし大統領選挙で野党連合の中道右派候補が他党出身だった場合、CHP党員からの支持は多少なりとも低下するだろう。

 事実、2018年6月の大統領選挙のときにもギュル前大統領を野党勢力の統一候補とする試みがあった。このときは政党間の候補調整以前の問題として、CHP内のギュルに対する拒否反応が大きな障害となった。エルドアンへの権力集中がその権力を脆弱化させている一方、野党陣営での新たな競争が、今後エルドアンを利する可能性も否定できない。

間寧
はざま・やすし JETROアジア経済研究所地域研究センター中東研究グループ長。博士(政治学)。最近の著書に『トルコ シリーズ・中東政治研究の最前線1』(編著、ネルヴァ書房、2019年)、『後退する民主主義・強化される権威主義――最良の政治制度とは何か』(第四章「外圧の消滅と内圧への反発:トルコにおける民主主義の後退」、ミネルヴァ書房、2018年)、"Economic and corruption voting in a predominant party system: The case of Turkey,"(Acta Politica, 53(1), January 2018)

Foresight 2019年7月8日掲載

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