元格闘家「須藤元気」が立民から参院選に出馬、自著で告白した“恥ずかし過ぎる過去”

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ヒゲのオジサンのせいでボクサーを断念

 須藤氏が中学生の時、ボクサーとしては致命的となる、視力が低下してしまう。

〈自分の身から出たサビで、その後の人生を揺るがす大きな事件が起こったしまった。視力が極度に低下してしまったのである。ファミコンとゲームボーイのやりすぎという理由だ。そう、ヒゲの中年オジサンが、謎のキノコで巨大化したりしながら、狂った脊椎動物門爬虫綱カメ目の生物と死闘を繰り広げるゲームが、お、面白すぎた。(中略)プロのボクサーになるためには、左右両眼共に裸眼で0・5以上の視力があることが必須条件になる。それ以外の場合、当然プロになれない。僕の場合は0・2だった〉

 プロボクサーを断念した須藤氏は、自衛隊学校への進学も考えたが、格闘家となるためにレスリング部のある高校へ進学し、大学は、早くプロの格闘家になるために拓殖短期大学に入学した。大学1年の時に全日本ジュニアオリンピックで優勝。ポーランドで行われた世界ジュニア大会の日本代表にもなった。

 大学を卒業後、アメリカへ留学し、“逆輸入ファイター”を目指す。ところが、ここで意外な事を告白するのである。

〈大学の卒業間近になると、僕は「逆輸入ファイター」になるチャンスをつかむべく、渡米する準備をはじめた。(中略)資料を調べてみると、志望していたサンタモニカ・カレッジの芸術学部に入学するには、TOEFLで450点以上取ることが必須だという。(中略)僕は勉強をせずに、TOEFLで合格点を取る覚悟を決めた。ただし、カンニングで。いや、カンニングという言葉はちょっとネガティブなので、“WE ARE ALL ONE”の精神で〉

 なぜカンニングが“WE ARE ALL ONE”の精神と繋がるのだろうか。

〈数日間戦略を練った挙句、僕がようやく思いついたのは「視力を良くする」という方法だった。幸いテストはマークシート形式だったので、他の人の答案用紙さえ見ることができれば、比較的に答えは写しやすい。しかも、遠くの席の受験者の答えを見れば、まさか答えを“WE ARE ALL ONE”していると疑われることはない。奮い立った僕は、さっそく度数のきつい使い捨てコンタクトレンズを購入した。そして、一発目で450点ぴったりの点数を獲得。念願のサンタモニカ・カレッジの入学資格を手に入れることができたのだ〉

 見事、カンニングで米留学を果たし、プロの格闘家となった須藤氏は、今度は試合で“トラップ”を使って勝利をものにする。

〈2000年7月に「CONTENDERS 2000」というグラップリングの大会で、宇野薫選手と試合をしたときのことを思い出す。当時の宇野選手といえば、修斗(編集部註:総合格闘技団体)の立役者であるルミナ選手を倒し、テレビCMにも出るようになった絶頂期。しかも、その時に開催されたのが宇野選手の自主興行ということもあり、会場に集まったマスコミの数が半端じゃなかったのである。(中略)しかし、僕にはこの試合に向けて、秘策があった。というのも、その試合を行う1カ月前、船木選手の引退試合が行われた「コロシアム2000」という興行で、僕はアンドレ・ペデネイラスというブラジリアン柔道家と闘った。そのペデネイラス対策として、以前同じ相手と試合をしていた宇野選手に、僕のスパークリング・パートナーになってもらっていたのだ〉

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