神奈川逃走事件「クスリをやりながらチワワを浴槽で溺死させた」凶暴犯の素顔

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「ムショ仲間」が語る

 県警の捜査関係者が愚痴りながら振り返る。

「間が悪いことに、6月28、29日に行われるG20の警備に備えて、開催地の大阪に千人近くの応援部隊を派遣しなければならない最中に小林が逃げた。神奈川には米軍基地があり、その周辺の警備を怠るわけにもいかないので小林の捜索に充分な人手を割けず、時間が掛かってしまった」

 別の捜査関係者が続ける。

「小林は暴力団関係者とも親しく、彼らが逃走の手助けをしていたようだ。『頼る先』があったことで、小林は滞在先を転々と変えることができたと見ています」

 こうした「逃走手助け人」がいたこと自体が、小林容疑者が“ワルのネットワーク”に囲まれていたことを物語っている。事実、彼が横須賀市に身を隠していた際に一緒にいた幸地(こうち)大輔容疑者(38)が犯人蔵匿容疑で逮捕されていて、そのことが“ネットワーク”の存在を証明している。

 小林容疑者の「ムショ仲間」に話を聞くと、彼が“ネットワーク”の中で生きてきたとしても何ら不自然ではない経歴が改めて浮かび上がってくる。

「たしか誠が17歳の時だったと思いますが、私がいた小田原少年院(注・現在は閉鎖)に彼がやってきた。当時の小田原少年院は、関東でも一番悪い未成年が集められるところでした。その後、私が松本少年刑務所に入ると、後を追うように誠もやってきて、20代半ばまでそこにいたはずです。『車で人を轢(ひ)いた』、『強姦っぽいことをした』と言っていたと思います」

 再保釈中に過ごしていた小林容疑者の自宅からは、懲りずに覚せい剤を使用していたのか注射器も見つかっている。このように振り返ってみると、やはり彼は明らかに娑婆に出してはいけない危険人物だった。それなのに、裁判所は再保釈し、逃走を招くという決定的に誤った判断を下したのである。

 とどのつまり、小林容疑者を取り逃がした検察、逃走した彼をなかなか捕まえることができなかった警察、そしてそもそも小林容疑者を野に放った裁判所、これらが「三位一体」となり、凶暴犯を放置する事態を招いてしまったことになる。横浜地検のトップである中原亮一検事正は逃走情報の公表が遅れたことについて「非常に責任は重いと思っている」と頭を下げたわけだが、一方、「そもそも」の種を蒔(ま)いた地裁が口を噤(つぐ)んだままとはどういう了見なのだろうか。

(2)へつづく

週刊新潮 2019年7月4日号掲載

特集「『覚せい剤常習犯』を再保釈した『女裁判官』のご存念」より

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