「解散は首相の専権事項」のウソ(石田純一)

エンタメ

  • ブックマーク

石田純一の「これだけ言わせて!」 第35回

 先日、内閣不信任案は否決されたが、そもそもの話、衆議院の解散権はだれのものだろうか。憲法学者たちが「解散権は首相の専権事項だ」と言い、メディアもそれに追随してきたけれど、実はこの解散権、とてもあいまいなのだ。

 政府は、首相に解散権があると解釈する根拠は憲法第7条にある、と言っている。初めて第7条に基づいて行動を起こしたのは、1952年の吉田茂内閣の「抜き打ち解散」だが、では第7条にはどう書かれているのか、最初に確認しておこう。

〈天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。(中略)三 衆議院を解散すること〉

 要するに、上記の〈内閣の助言と承認により〉という文言を、「内閣総理大臣に解散権がある」と解釈したわけだ。メディアもこの解釈を、あたかも水戸黄門の印籠のように掲げているが、憲法の条文のスピリットは、そういうことではないだろう。

 僕は小学生のとき、「衆議院を解散できるのは、内閣不信任案が提出され、それが可決されたときだ」と教わったのを、いまでも覚えている。このことは実際、憲法第69条に次のように書かれている。

〈内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない〉

 しかし、いまのように衆議院で与党が多数を占めているかぎり、内閣不信任案が可決することはありえない。憲法には、解散について内閣が「判断できる」とは少しも書かれていない以上、内閣の一存では解散できないはずなのだ。

 だから、党利党略による解散など論外である。たとえば、2017年の安倍内閣の「国難突破解散」。森友・加計問題で責任を問われた内閣は、野党から臨時国会の召集を求められたのに応じず、ようやく招集したと思ったら冒頭で解散した。これ以上の国会軽視、民主主義軽視はないだろう。国会は総議員の4分の1以上の要求があった場合には召集しなければならない。それがルールなのに当初は無視して、ようやく応じたと思えば、少しの議論もせずに解散。民主主義のルールを無視した、想像を絶する横暴で、さすがに世論調査でも7割が疑問視していた。

 たとえばイギリスはいま、下院は総議員の3分の2以上が同意しなければ解散できない。議会制民主主義を大切にするとはそういうことで、それがひいては野党を育てることにもつながる。要は、解散の是非について言葉を尽くして話し合うのが政治の本質だろう。残念ながら、いまの日本政府の姿勢は真逆である。安倍首相はいま、「解散はない」と言っているが、実際問題、直前までわからない。いまの政府の解釈のままでは、卓袱台返しのような解散も可能だからだ。

 先日の三原じゅん子の演説を聞いて、僕は悲しくなった。

「問責決議案を提出するなど、まったくの常識外れ。『愚か者の所業』とのそしりは免れません。野党のみなさん、もう一度改めて申し上げます。恥を知りなさい!」

 でも、そんな議論であっても、しないよりはマシなのだ。

 日本の衆議院議員は任期が4年あるのに、1年で解散してしまうこともしばしばだが、そんなことはヨーロッパではありえない。選ばれた人たちが任期のなかで仕事をすることを妨げる解散権。しかも、その根拠がこうもあいまいだということを、みなさん、知っていましたか?

石田純一(いしだ・じゅんいち)
1954年生まれ。東京都出身。ドラマ・バラエティを中心に幅広く活動中。妻でプロゴルファーの東尾理子さんとの間には、12年に誕生した理汰郎くんと2人の女児がいる。元プロ野球選手の東尾修さんは義父にあたる。

2019年7月6日掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。