八村塁の母と恩師が語る壮絶過去 「カツアゲの濡れ衣」を着せられたことも

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カツアゲの濡れ衣

「“八村は野球部にも陸上部にも入らないらしい”と聞いたので、バスケ部のメンバーに“一回連れてこい”と私が言ったのです」

 坂本氏がそう振り返る。

「バスケ部に入ってからは、常にNBAの話題を振り、マイケル・ジョーダンらの映像を見せた。それで塁の心の中でもNBAへの夢が膨らんだのでしょう。中学卒業時には“NBAに行く”と豪語するようになっていました」

 その夢が実現したドラフト会議の席。そこに臨んだ八村のジャケットには日の丸のバッジがあった。

「彼は日本人であることを強調する一方、黒人とのハーフであることにも誇りを持っている。そうしたことに自覚的になっていったのは、やはり成長の過程で多くの偏見にさらされてきたからだと思います。彼が育った富山は、都会と違ってハーフの子が少ないので、どうしても奇異の目で見られてしまうのです」(同)

 中学の時には、カツアゲの濡れ衣を着せられそうになったこともあったという。

「中学校の近所のゲームセンターから“背が高くて黒い子がカツアゲをした”と学校側に連絡があり、塁が呼び出されたのです。塁は“オレじゃない!”と何度も否定するのですが、教師たちは“お前しかいない”と言って信じなかった。結局、後になって、犯人はサッカー部の肌が黒い子だと分かりましたが……」(同)

 そうしたことがあり、坂本氏はさらに「NBA」を強調するようになった。“お前が輝くのは日本ではなく、個が優先されるアメリカだ。NBAに行けば、輝ける”と――。

「彼がすごいのは、そうした偏見の中でグレてしまうのではなく、ベナン人の父、日本人である母の血の両方に感謝しよう、と素直に思えたことだと思います」

 と、坂本氏。

「彼が進んだ宮城の明成高校バスケ部の佐藤久夫監督が“ハーフの大将になれ”と指導したことも、彼のアイデンティティの形成に大きな影響を与えたはず。佐藤監督とは電話でよくやり取りをしていましたが、ある時、八村の生活態度について相談されたので、“彼の心の半分はアフリカなのです”と言ったことがある。あまり日本式の枠にあてはめないほうがいいんじゃないか、という意味です」

 素晴らしい指導者に導かれたおかげで、不動の「軸足」が定まったのだ。

週刊新潮 2019年7月4日号掲載

ワイド特集「『家族ゲーム』の人物点検」より

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