「絶望」の中にも「光」は必ずある
パリのごくありふれた日常。ダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)はアパート管理や木の剪定の仕事をしながら、シングルマザーで英語教師として働く姉サンドリーヌ(オフェリア・コルブ)の娘アマンダ(イゾール・ミュルトリエ)の小学校の送り迎えをする日々。ダヴィッドはアパートの新たな住人レナ(ステイシー・マーティン)との関係も次第に深くなってきた。
市内で起きた銃撃テロが、その日常を破壊した。サンドリーヌは亡くなり、レナは負傷してパリを離れる。残されたダヴィッドとアマンダは、テロ後をどう生きていくのか――その心の動きを繊細なタッチで描き、第31回東京国際映画祭東京グランプリと脚本賞を、第75回ヴェネチア国際映画祭マジック・ランタン賞を受賞した『アマンダと僕』が、6月22日からシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほかで全国順次公開中だ(配給・ビターズ・エンド)。
脚本と演出は、この作品が長編第3作となるミカエル・アース監督(44)。いったいどのような思いで、この映画を製作したのか。監督に聞いた。
「今のパリ」を描き出した
――全体に、とても優しい映画だという印象を受けました。特に前半の25分ほど、転機が訪れるまでの間を実に丁寧に描いていたという印象があります。やはりこの作品では、登場する人々の細やかな心の動きを表現しようとしたのでしょうか。
私は今のパリを、“身内の不幸”というプリズムを通して描きたかったので、当然そこでは、感情の機微を描写しています。
前半については、で登場人物について、どんなふうに家族が過ごしていたのか、どんな風に主人公の男性ダヴィッドが女友達レナに出会うのかといったことをしっかり見せようと思いました。
最近の映画の観客というのは、たとえば映画の中でテロの話が出てくるといったような情報を事前に得てから来る人が多いんですね。天気となるテロがどこかで起き、そこで女性(ダヴィッドの姉サンドリーヌ)が亡くなることをすでに知っている。そのサスペンスをあまりぶしつけな感じで見せないように心掛けながら、登場人物たちを丁寧、優しく描きました。
ただ私は、テロがあって女性が亡くなったあとも、優しさは続いていると考えていて、優しさや、光、明るさはずっと続き、存在しているということを全体に表現しました。
――今のパリを描きたかったというお話ですが、おっしゃっている中で、パリの人たちにとっての一番身近で不幸な出来事とはテロだ、ということなのでしょうか。
テロの犠牲になることは、もちろんごくまれな話ですが、そういう形で、現在パリの人たちが受けている暴力性というものを表現しています。そういう暴力により、映画の登場人物の運命はひび割れてしまうわけです。
ただ、そういう暴力性や危険性というものは昔から、たとえば車にひかれていつ死ぬか分からないというように、いつも身近にあるものです。それが今は、道を歩いていていつ銃に撃たれて死ぬか分からないという状況になっている。その現代性を表現すると同時に、そのことが登場人物にとっては身内の不幸になるわけですね。
だから、そういう現代性というかマクロ社会的な意味でのテロという要素があり、しかしその中にはいろんな人たちが住んでいて、彼らはそれぞれのやり方で、その世界を生きているということをこの映画で見せようと思いました。
――日本の場合、自然災害が多くて、そういう不幸に巻き込まれて、アマンダのような体験をする子供も当然います。テロと自然災害は違うかもしれませんが、日本人も共感できる部分がとても多い作品だと思いました。
今回の映画は、テロという非日常的なものにより日常生活がそこからひび割れ、引き裂かれてしまうということが内容です。自然災害も非日常ですから、被災された日本人のみなさんが共感できる部分があるのではないか、と確かに思います。
「再生」への信頼
――テロで母を亡くすことになるアマンダは、前半ではとてもいい子のようでしたが、後半では、やはり心に大きな傷を負ったからでしょうか、わがままが出てきたりしています。そうした少女のミクロな心の揺れがとても繊細に描かれていましたが、そうとう細かい演出があったのでしょうか。
基本的に、他の俳優と同じです。つまり大人の俳優と同じように、彼女――アマンダ役の
ともいろんな話をしてから撮影に臨みました。ですから、撮影をする前に何か操作をするとか、心理的に圧力を加えて演技を引き出そうとかいったことは全くしていません。
彼女は小さいですけれども、シナリオを読んで、その内容をよく理解していました。ですから私がしたことは、彼女との間に信頼関係を築くことと、つねに好意的で彼女に対して注意を払うこと。彼女が身を任せて思い切り演技ができるような環境つくりをしました。
ただフランスには法律があって、子供を撮影する場合には、1日3時間以上は撮影してはいけないといった、いろいろな制限がありますので、撮影上では複雑な面もありました。でも、私の彼女に対する演技指導は、全く大人の俳優と同じです。たとえばウインブルドンでの最後のシーンもそうですが、声をかけて、「もっとがんばって、がんばって」と言って撮っていきました。
――その、ラストのウインブルドンでのシーンですが、ここでのアマンダの劇的な変化は、とても希望の持てる終わり方だったと思います。これは監督の中に、人間が再生していくことへの信頼があるのだ、ということを強く感じました。
それを描くことは、私にとってとても重要でした。映画の内容そのものは悲劇で、とても暗く重いものです。ただ観客がこの映画を観て映画館を出るときに、希望がないと思うことは避けたかった。だから最後は、希望があり光が見つけられるんだということを見せたかったというのもあります。
また、テロのような暴力性に対して、自分はそれでも生きているということ、そして人生にはレジリエンス(自発的治癒力)があるということを表現するのは、私の中ではとても重要でした。テロで人生が終わるのではなく、人生は続いているのだということを描きたかったのです。