勝新太郎の兄・若山富三郎の「破天荒人生」 取り巻き全員を…
5、6人全員が
誰もがそんなにやさしくされたからだろうか、
「若山企画は女性ばかりで、ほとんどが父のお手つきでした。女社長を筆頭に、20代から50代くらいまで、女優をめざすお弟子さんから身の回りのお世話をするお手伝いさんまで、5、6人。当然、女性同士の派閥ができ、私はどの派閥にも属さないようにするのが大変でした。どこかに肩入れすれば角が立って、事務所の人間関係が滅茶苦茶になるから、誰に対しても中立である必要があったのです」
時に息子としては聞きたくない話を聞かされ、
「“私、お風呂出たあとの先生の体を拭いているんだけど、そのときわかるのよね、今日(肉体関係が)あるか、ないか”なんて言ってくる人もいました。それを聞いて私は“オヤジ、体を拭かせてるのか!”“なんでそんなことを息子に言うんだ!”とか思いましたね。当然、女性同士の嫉妬とかいざこざがあって、それも私が仲裁して、父の尻拭いをしているようなものでした。普通は親が子供の尻拭いをするんでしょうに」
そんな状況が嫌で、おまけにミスをするたびに父親から殴られたこともあり、
「勝プロに移りたくて、勝おじさんに相談したこともありました。勝プロは男ばかりだから、ドロドロした人間関係はないと思って」
息子には厳しい父も、
「ふとした時、父親に変わるんです。私は普段、父のことを“先生”と呼んでいましたが、“今日はお父さんでいいよ。お父さんとご飯食べに行こう”という感じになる。すると、殴られて蓄積していた憎念がパーッと消えるんです」
女性はそんな態度に、男のかわいさを感じたのだろうか。とまれ若山の桁外れの日常は、昭和という時代の懐の深さゆえだろう。
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