勝新太郎の兄・若山富三郎の「破天荒人生」 取り巻き全員を…

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 とっくに死語になった感がある「女遊びは芸の肥やし」。いまどき肥やしどころか、メディアに袋叩きにされ、芸の道が閉ざされかねない。一方、取り巻きを残らずお手つきにする桁違いの艶福人生が許されていたのが昭和であった。たとえば若山富三郎のように。

 実弟が勝新太郎と聞けば、おのずと豪放磊落な性格が想像されるというものだが、実際、こんな豪胆な逸話は枚挙にいとまがない。

「家に着くと、浅草ロック座の齋藤智恵子さんが拡声器で“若山富三郎、カネ返せ!”とやっていて、父は運転手さんに“Uターン、Uターン!”って」

「そんなに借金があっても、人からお金の相談をされると、“これ持ってけ”と言って渡してしまうし、自分が主役の撮影だと、ほかの役者からスタッフまで全員分の弁当やらなにやらを買って面倒を見る。そういうキップのよさがあった」

 そう回想するのは、1992年(平成4年)に62歳で亡くなった若山富三郎の息子、俳優の若山騎一郎氏(54)である。富三郎氏が2番目の妻だった女優、藤原礼子との間にもうけた子だが、結婚生活が2年で破綻してからは母親に育てられ、「父親は亡くなった」と聞かされていたという。14歳で父親が誰かを知り、成人してからは父の付き人になり、令和の世には絶えた父の“生き様”を眺めることになったというわけ。

 たとえば、先の“キップのよさ”に繋がる話では、

「父は100万か200万円するミンクのコートを着ていたとき、ある女優さんに“ステキ!”と誉められたら、“ありがとう。着て帰りなさい”と言ってあげちゃう。それで新しいのを買うので、お金がなくなりますよね。でも、女性には本当にやさしかった」

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