故「内田裕也さん」に足かけ7年取材 編集者が見た“スクリーン上のロックンロール”

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殺し合いになるぞ!

 先述のとおり、インタビューはホテルのラウンジやレストランで行われた。

「最初に話を聞いていると、だいたい30分くらいで裕也さんは温まってくる。そうするとお酒を飲み出すんです。だいたいホットウイスキーや焼酎のお湯割り。ビールもお好きでしたが、医者から止められていたらしく、マネージャーさんがこっそりノンアルコールに注文し直したりもしていましたが(笑)。で、お酒を飲んで1時間もするとピークを迎え、30分かけてクールダウン。基本的にはこのルーティンでした。
インタビューが終わると解散なんですが、しばらくすると電話があって『来いよ』とお呼びがかかることもあった。それで何を頼もうか迷っていると、『いいから肉食えよ!』ってなる。そのレストランには屈強な黒人ウエイターがいて、英語なのでよく分かりませんがその外国人のサイズをビール瓶のサイズで表現したりしている。それが裕也さんが考える、労いの表現だったんだと思います」

 そんな内田の怒りを、平嶋氏は目の当たりにしたことがあった。2018年の夏、最後のインタビューとなった席の事である。

「『ジョン・レノンだショーケンだってそれがどういうことか、分かってるのかよ?その次に優作氏の名前なんて出したら……殺し合いになるぞ!』と怒り出しました。その時はすでにご体調を崩されていて、思うように喋れない苛立ちもあったんだとは思います。それと、そこには自身に対する世の中の無理解への怒りもやはりあったんじゃないでしょうか。でも裕也さんは、本質的には理解されづらい、というか理解されることを拒絶してきた人なのでは。
 奥さんだった樹木希林さんは、皆から愛された人。だから彼女の“生き方・死に方”を前面に謳った本が売れているんだと思います。それに対して裕也さんは、少なくとも僕にとって、“想像を絶するカッコいい男=ロックンローラー”なんです。それはこれからも、ずっと」

 最後のインタビューの後、待てど暮らせど次のスケジュールのアポイントが取れない。そして年明け、内田の訃報を知った。それまでのインタビューをまとめて、3カ月で上梓した。

 平嶋氏が形見分けでもらったという内田の、アディダスのジャージ。その胸元には“Rock 'n' Roll”の刺繍が、あしらわれていた――。

週刊新潮WEB取材班

2019年6月29日掲載

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