付録はカブトエビ養殖! 伝説の雑誌「科学」の付録誕生秘話

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 街の書店をのぞいてみれば、男性誌・女性誌問わず、ミニトートバックや小物入れ等々の付録がついている雑誌が並んでいる。付録が目当てで思わず、買ってしまうこともある。記事の中身よりも、むしろ付録がメインになっているような雑誌さえある。

 むろん、こんな光景は今に始まったものではない。昔から婦人誌はお正月号には家計簿を付録につけるし、少年誌や学年誌にはペーパークラフトなどがついていた。

 特に今の30代以上にとって、インパクトがあったのは学習研究社(現・学研ホールディングス。以下、学研)から出されていた学年誌、“「科学」と「学習」”の付録ではないだろうか。当時の付録といえば、先にも書いたように小冊子やペーパークラフトといった紙製のものばかり。ところが、この学研の学年誌についている付録は違った。

「学習」のほうは「歴史年号暗記マシン」といった学習機器だったが、「科学」のほうはボーキサイトや鉄鉱石が並ぶ「鉱物セット」や恐竜の本格的な骨格モデルなど、“紙オモチャ”ではない、理科室にあってもおかしくないような“本格的実験機材”だった。

 子どもたちは、この「科学」の付録に目を輝かせ、夢中になった。今も当時の付録について語り出せば、熱くなるという大人たちは少なくない。最盛期の1979年には、「科学」と「学習」は1カ月に合計670万部発行に達している。

 この人気を支えたのが、斬新な付録の数々だったのだ。ノンフィクション作家の本橋信宏さんの新著『ベストセラー伝説』をもとに、その制作秘話を見てみよう(以下、引用は同書より)

 実は“「科学」と「学習」”は並べて称されることが多いけれど、創刊は別々。戦後、それまで使われていた教科書は軍国主義につながるものだと言われ、黒く塗りつぶされた。これでは子どもたちにロクな教育はできないと懸念した学研の創業者が1946年に創刊したのが「学習」だった。一方、「科学」のほうは、戦後の復興には理科教育が大事だということで1954年に理科教育振興法が施行されたのを受けて、1957年に創刊された。当初は「たのしい科学」という雑誌名だったがまったく売れず、「科学の教室」と改名しても鳴かず飛ばず。「科学」は学研のお荷物扱いとなった。

 そこで編集者たちは原点に戻って考えた――。理科って何が楽しいんだ? そうだ、実験観察が楽しかった。でも、家ではなかなか実験観察ができない、だったらそれを付録につけてあげようと――。

 こうして、実験機材を付録にするというアイディアが具体化していく。その第1号は顕微鏡だった(1963年)。

 一雑誌の付録の域を超えた付録が評判を呼び、以後、「科学」の売れ行きは急上昇する。「科学」の編集長を務めた湯本博文・科学創造研究所所長(肩書きは取材時)は、様々な付録の裏話を明かしてくれている。

 たとえば生きた化石と呼ばれるカブトエビを付録にしたことがあった。生き物が付録という斬新さが受け、特に人気があったという。

「田んぼにいるカブトエビ、3億年前から変わっていないんです。生物モノって準備が大変なんです。1年かけて開発するんですよ。カブトエビは3年かかりました。生き物、植物関係は準備しないといけない。大量につくって育てないと。長野県の農家と契約してひとつの田んぼを全部うち専用、カブトエビ専用にしちゃう。そこで増やすんですけど何年もかかる。カブトエビは79年に『2年のかがく』編集長がやりだした」

 編集長は学年別に6人いて、それぞれが創意工夫を競い合っていたという。その熱意がまた評判を呼び、部数はうなぎ上りになった。それに伴ってこんな混乱も――。

「サフランの球根を何十万個もばっと買っちゃう。製薬会社が薬用として球根を買う予定だったけど、ある日突然消えてしまったので値段が高騰、市場が混乱して大分迷惑をかけました。計画しないといけないと気づき、1年前から畑ごと契約しました」

 限られた予算の中で作らないといけないため、原価の見積もりは1銭単位で計算されていたという。しかし、こんなちょっといい話もある。

「人気があった鉱物セット、でもどうやって石を手に入れたらいいかわからないから鉱山に行っちゃう。転がっている石を指して、『安く売ってくれないか』って交渉するんですね。すると、『子どもたちの科学の勉強のためになるなら、もっていってくれ。ただでいい』って言ってくれたところもたくさんあったんです」

 一世を風靡した「科学」と「学習」も、90年代になると部数が低迷しはじめる。少子化に加えて、テレビゲームなど子どもたちの興味が他に移ったことがあげられるのかもしれない。「科学」は2010年3月号、「学習」は2009年度冬号をもって休刊となる。

 だが、いまだ「科学」と「学習」の付録は語り継がれることも多い。子ども向けの付録のために、知恵をしぼり、時には鉱山を駆けめぐり、球根を何十万個と注文してしまう。そんな無茶ができる裏方たちがいてこそ、愛され、記憶に残る付録が生まれたのだろう。

デイリー新潮編集部

2019年6月27日掲載

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