「釈放から20日で逮捕」 岡崎聡子が輝いていた頃
「またか」――彼女のこれまでを知る人は、こう思ったことだろう。元体操五輪代表選手の岡崎聡子が警視庁に覚醒剤使用の容疑で逮捕されたことが19日、報道された。
まだアスリートなんて言葉が一般化する以前、昭和の時代にアイドル的な人気を博した彼女が、薬物とセットで報道されるようになってから久しい。
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そのアップダウンの激しすぎる人生を象徴するのが、1995年に初めて逮捕された頃の騒動の数々だろう。
当時、写真週刊誌「FOCUS」では、5月から8月という短期間に3回も彼女の記事を掲載している。そのタイトルを見れば、大体、どんなことがあったかはわかるだろう。
(1)「大麻、覚醒剤」で岡崎聡子久々の登場――「清廉→スキャンダル→クスリ」の変遷(5月31日号)
(2)岡崎聡子、裁判所から「逃走」――「執行猶予付き有罪判決」で今後の人生(7月26日号)
(3)釈放後わずか20日で再逮捕、「岡崎聡子」の愚かな笑い(8月23日号)
何が起きたか、当時の記事をもとに流れを見てみよう(引用はすべて同誌より。一部略)。
(1)で伝えているのは、都内でオウム真理教関連の一斉検問に引っかかり、結果として大麻所持、覚醒剤使用で逮捕された、という話だ。実はこの頃、逮捕歴こそなかったものの、度々スキャンダルが取り沙汰されていた。
「聡子は76年、高校1年でモントリオール五輪に出場。『和製コマネチ』なんて持て囃された。現役時代のあどけない顔の彼女は日本中の人気者。が、可憐なイメージはここまで。
79年、怪我で引退。芸能界デビューしたものの、鳴かず飛ばず。81年11月には飲食店経営の恋人が婚約不履行で1千万円の慰謝料請求を提訴。同棲時代の性生活まで暴露され、更に『マリファナ常習者』との告発で警察の事情聴取も受けた」
和服姿の写真は、この頃、「心機一転」を誓って同誌の取材を受けたときのものだ。スキャンダラスな存在になっていたとはいえ、その表情にはまだアイドルっぽさすら漂う。
件の恋人とは別の男性と84年には結婚し、「妊婦ヌード」を披露したりと話題を振りまくものの、2児の母となる頃には家庭に落ちついたはずだった。が、夫の経済的な問題などから92年には運命が暗転していく。
「住んでいた川崎市内のマンションの住民によると、信販会社に家財を差し押さえられたり、ガスを止められたこともあるという」
住民は当時、こんな証言もしている。
「聡子さんの様子がおかしくなり、夜中に目の下に隈を作って虚ろな顔で階段に座り込んでいたこともありました。部屋のある5階から1階のゴミ置場にゴミを放り投げたり、窓ガラスが割れた車を平気で運転していたり。部屋を訪ねると、中は煙がモクモクしていた」
住民の間では「クスリをやっている」と公然と囁かれたという。結局、このマンションは家賃滞納で追い出された。しかしその後も経済的な問題は解消されず、そして前述の逮捕となる。この時、夫も同様の容疑で逮捕されている。
記事の締めくくりにはこうある。
「よっぽど男運が悪いのかどうか。聡子も、落ちるところまで落ちたものだ」
しかし、彼女の転落はこれだけでは終わらなかった。
もっとも、(2)の記事にある「裁判所から『逃走』」というのは別に罪を犯したわけではない。7月に「懲役1年6月、執行猶予3年」の判決を受けた彼女は、裁判所の外で待ち受ける報道陣を無視してダッシュ。歩道でスッテンコロリンと転ぶというハプニングこそあったものの、元体操選手らしくすぐに体勢を立て直し、タクシーに乗って去って行った――というだけの話である。
問題はこの後だ。釈放からわずか20日、再び覚醒剤所持で逮捕されたのである。この時もオウム真理教が関係している。
「(8月)3日、午後11時すぎ、板橋区内の川越街道を、1台の車が蛇行しながら赤信号を無視して走り抜けようとした。ところが、この一帯はその日も高島平警察署によるオウム一斉警戒検問が行われていたのである。
警官の制止に運転していた女性は素直に従ったが、免許証の提示に応じない。免許証を持っていないのに、『持っています』とか『大丈夫です。お酒は飲んでいません』と呂律(ろれつ)の回らない口調で同じことを繰り返す。
押し問答の末、彼女のバッグからは、0.9グラムの覚醒剤と注射器2本が発見された。さらに腕にはおびただしい注射痕。逃れようもない現行犯で、あえなく御用となった」
さすがにこれでは執行猶予がつくはずもなく、彼女は実刑判決を受ける。そしてその後も数年に1度は、逮捕が報道され、逮捕回数だけでも諸説あり、という状態になってしまった。おそらくこれまでに、服役中も含めて様々な治療や更生のための方策が試みられたのだろうが、いまだ成功はしていないようである。