「#KuToo」石川優実さんがフェミニズムに目覚めた「お菓子系アイドル」時代の壮絶体験

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「親に悪いと思わないの?」と友人に縁を切られた

 石川さんが芸能活動を始めたのは高校3年生のとき。名古屋の栄に遊びに行った際、スカウトされたのがきっかけだという。

「当時、モーニング娘。が流行っていて、芸能界に興味はあったんです。実家が岐阜で田舎なので、芸能界は夢のそのまた夢のような世界でした。目立つだろうし楽しそうという思いと、就職はしたくないと考えていた最中のスカウトだったので、せっかくの機会だからやってみようと、芸能界に入りました」

 最初の頃は、水着ではなく、服を着た公園などでの撮影会が主な仕事だった。高校卒業後は観光の専門学校に進学したものの、ここで現在提起しているパンプスの問題にぶち当たる。授業の一環として行われたホテルのラウンジでの研修では、パンプスを履いて8時間の勤務。足が痛くて苦痛で、これは続けられないと、芸能の仕事との両立も考え、研修期間を終えてすぐ、専門学校は中退した。

「当時はパンプスの痛みに耐えられない自分の足が悪いと思っていました。でも、よく考えると、靴が原因でやりたい職業の選択が狭められるっておかしいですよね」

 20歳になるまでの2年間は名古屋で芸能活動を行っていた。女優になりたかったのか、タレントになりたかったのか、石川さんは具体的にどんな芸能人になりたかったのか尋ねると、その時はあまり深く考えておらず、とりあえずグラビアをやって名前を売ろうと思っていたとのことだった。

 水着のグラビアを好んで見る女性もいるが、多くは男性が鑑賞している。性的な表現をすることに関し、石川さんの親は反対しなかったのだろうか。

「親は賛成というわけではありませんでしたが、反対もしていないです。でも、友人からは『そんな仕事するなら友達をやめる』と縁を切られたり、『親に悪いと思わないの?』と言われたりしました。

 友達に縁を切られてしまったのは私の日頃の行いが悪かったからかもしれませんが、母は『なんで優実ちゃんの友達が勝手にお母さんの気持ちを決めつけるの?』と言ってくれました。また、『進んで肌の露出のある仕事をやれとはもちろん言わないよ。でも、あんたと私は良い意味で他人だから、それはお母さんが決めることじゃない』とも。母は舞台を観に来てくれるし、映画も濡れ場があるから観てはいないようですが、いつもDVDを購入してくれています」

 私自身は性に厳しい家庭で育ったので、石川さんの母親は自立を促し、彼女の意思を尊重してくれる素敵な方だと感じた。

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