「よど号ハイジャック事件」で愛人問題がバレた英雄機長の暗転半生
1970年(昭和45年)の日航機「よど号」ハイジャック事件は、犠牲者を出すことなく冷静に任務を果たした石田眞二機長を一躍ヒーローに祭り上げた。が、それゆえ発覚した愛人問題で機長の人生は揺れに揺れ、暗転したのである。
いまから49年前、羽田発福岡行きの日航機「よど号」は赤軍派に乗っ取られた。当時47歳の石田機長は乗客や乗員を無事に降ろし、北朝鮮を経て帰国。まさに英雄となる。佐藤栄作首相から表彰を受け、園遊会にも招待された。
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そんななか、愛人との同棲が発覚する。本妻の元に戻ったものの、さらに別の愛人との傷害事件に巻き込まれた。“火宅の人”であることが大々的に報じられ、事件から2年後の72年、日本のフラッグ・キャリアを去ったのだった。
ここから流転の人生がはじまる。退職後は家族とともに大阪府岸和田市へと移り、雇われパイロットになった。その後、妻子を岸和田に残し、札幌から岡山へと渡り歩いて小型機の操縦をしたりしていたが、会社が倒産。パイロットの道は絶たれたのである。
そして、操縦桿を漬物石に持ちかえた。札幌から連れてきていた女性と、岡山で漬物店をはじめたのだ。朝の6時から夜11時まで、黙々と漬物を作る生活を8年。舌癌が見つかった。86年のことだった。
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