石原裕次郎は超・気遣いの男だった 「風呂場で背中を流してもらいました!」

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 今年は石原裕次郎の三十三回忌。その節目に、未発表のプライベート音源が見つかった。1982年(昭和57年)から翌年にかけて、石原プロの面々が山中湖の別荘でカラオケを楽しむ様子などが録音されているというが、そこには、昭和の大スターの気遣いが透けて見えるのだ。

 裕次郎はこの前年の4月、解離性大動脈瘤の大手術を受けている。復帰を果たしてさほど月日が経っていないのに、石原プロの十数名を、ボスが楽しませているわけだ。音源はこの7月にCD化されることが決まったというが、それはさておき、裕次郎が52歳で没したのは87年。その、わずか5年ほど前の宴会だ。スポーツ紙の芸能担当記者が言う。

「テープでは、裕次郎さんが渡哲也さんと『岸壁の母』を歌ったり、“お後がよろしいようで”とおどけたりしています。6時間におよぶ手術でみんなに心配をかけたから、との気遣いなのでしょう」

 この気遣いというキーワードが、古くから裕次郎を知る者にはしっくりくるようなのである。まずは、元マネージャーの辻玖二生氏。

「68年公開の映画『黒部の太陽』にまつわる話です。クランクインの少し前、共演の三船敏郎さんとスタッフも交えて六本木のレストランで食事をしました。私たちや石原プロのスタッフは“石原社長”と呼んでいたのですが、三船さんの前では“石原さん”と言うよう厳命されました。大先輩の三船さんを気遣ってのことです。こんな細かいところに思いが至るのも、さすがですよね」

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