長嶋茂雄の知られざる苦悩 監督解任前夜に洩らした「新聞が怖い」

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 弱音、不満、愚痴、疑心。ミスター・プロ野球、長嶋茂雄氏(83)に似つかわしくない言葉を並べたわけではない。人間ばなれしたところのあるミスターが、実に“人間らしい”素顔を覗かせ、その様子が報じられた稀有な例が存在するのだ。それは、1980年(昭和55年)10月20日、ミスターが巨人の監督を「クビ」になる前夜のこと――。

 令和の世では、巨人軍の終身名誉監督として遇されているミスターにも苦難の時があった。その悩みを余すところなく伝えたのが、本誌(「週刊新潮」)の「『巨人長島クビ』の大脚本」(80年10月30日号)だ。

 74年に現役を引退したミスターはそのまま監督に就任。翌75年のシーズンは球団史上初の最下位だった。その後は2年連続でリーグ優勝を果たすも、78年以降は2位、5位、3位、と再び低迷。

「国民的ヒーローであるミスターを巨人がクビにする、というのは、“あり得ない大事件”。しかし80年のシーズン後、それが実際に起こって大騒動になった」

 と、ベテラン記者。

「当時の読売グループの権力者は読売新聞の務台光雄社長、日本テレビの小林與三次社長、球団の正力亨オーナーの3人。正力オーナーは長嶋贔屓で知られていましたが、最終的には務台社長がミスターのクビを決断したと言われています」

〈陰謀です!〉

 件の記事には、クビになる前夜、ミスターがごく親しい相談相手に吐露した言葉が極めて詳細に記されている。例えば、

〈ぼくは未練があるんですよ。せっかく若手が育ってきたのに、何のために今までやってきたのか〉

〈日本テレビはなぜYさんに、ぼくがやめるんじゃないかって触れまわってるんだろう。Tさんなんか、務台さんに嫌われているのに、こんな形で動くなんて、おかしいんですよね〉

 疑心暗鬼になっている様子がよく伝わってくるが、

〈こんなことがあってはならないよね。金をかけない乗っ取りですよ。陰謀です!〉

 と、激高する場面も。

〈新聞が怖いですよ。報知はともかく、今日もスポニチとかデイリーから電話がかかってきましてね。王のところにも、スポニチあたりが来てました〉

〈報知あたりにいって、“ON同時退団”ってやってもらいましょうか。非難がまき起こるでしょうね。これ、もう最悪よ……〉

 ミスターらしからぬ卑屈な態度なのだ。いかにも世事に疎そうなミスターが上層部の“綱引き”を敏感に察知している点も意外で、

〈務台さんと、ごく2、3人と、それだけの秘密で、珍しく固いですね。よっぽど大変なことです。オーナーも、間に入って困ってるでしょう。どういう取引なのか、知りたいねぇ……。結局、務台社長でしょ〉

 そして、「運命の日」となった10月21日、ミスターが“怖い”と言っていたスポニチに「巨人、長島解任――藤田新監督」というスクープ記事が掲載されたのだ。

「21日の記者会見で、長嶋は“ファンの皆様に対して、成績が不本意であったという、ただそのことのみで、男としてケジメをつけ、責任をとりたいということです”と述べました。長嶋のすがすがしい心意気を感じます」(ノンフィクションライターの松下茂典氏)

 そこにいたのは、我々が知っているミスターだった。

週刊新潮 2019年6月20日号掲載

ワイド特集「『令和』に踊る『昭和』の影法師」より

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