勝新太郎、見栄っ張りが高じて借金20億円! 賭場のヤクザにも怯まず
芸能人のスケールも小さくなったと言われて久しいが、だからこそ、昭和の大物の桁違いの逸話が語られ続けるのか。うずたかく積み上がった借財も、20億円超と桁外れであった勝新太郎の豪快借金伝説。
「勝さんがあれほど借金を重ねたのは、最後まで見栄を張り通すためだったのではないでしょうか」
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そう解説するのは芸能レポーターの前田忠明氏だ。
「1954年(昭和29年)に大映に入社した勝さんの同期には、歌舞伎役者の市川雷蔵さんがいました。当初、2人の月給は、雷蔵さんが30万円で、勝さんは3万円だったそうです。これにショックを受けた勝さんは、カネを使って注目を浴びようと考えたというわけ。超高級スーツに身を包み、身銭を切ってリムジンに乗る。そう演出することで、名前を覚えてもらえるよう努め、実際、それに成功したのです」
67年に「勝プロダクション」を設立すると、カネ遣いはさらに奔放になる。
当時、勝と酒席を共にしたある芸能デスクは、
「勝さんと一緒に飲みに行くと、人数が雪だるま式に増えていくんです。最初4、5人だったのが、行く店行く店で“一緒に飲みに行こう”と声をかけ、銀座の高級クラブで最後は20~30人になる。一晩で200万~300万円は、平気で使っていたと思いますよ」
豪快な夜のカネ遣いも借金の原因のようだが、別の芸能記者はこうも言う。
「あの人の借金の原因は、飲み代よりも制作費。何ごとも妥協できない性格だから、テレビ局から2千万しか出ない番組に、3千万かける。地方でのショーでも、バックバンドに有名どころを連れていき、仕込みにギャラ以上のお金を使ってしまうんです」
賭場のヤクザに借金を重ね、恫喝されても怯まなかったそうだが、中でも頼ったのが「浅草ロック座」の名誉会長、齋藤智恵子さん(故人)だった。
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