200万人デモ「一国二制度と中国」で共鳴する「香港」と「台湾」
香港と台湾は繋がっている、ということを実感させられる1週間だった。
香港で起きた逃亡犯条例改正案(刑事事件の容疑者などを中国などに移送できるようにする)への抗議は、103万人(主催者発表)という返還後最大規模のデモなどに発展し、香港社会からの幅広い反発に抗しきれなくなった香港政府は、法案の審議を一時見送ることを決定した。それでも6月16日には、改正案の廃止を求めて200万人近く(主催者発表)が再びデモに繰り出した。
前例のない今回の大規模抗議行動のもとをたどれば、台湾で起きた殺人事件の容疑者身柄移送をめぐる香港と台湾の問題に行きつくが、同時に香港のデモは、台湾で現在進行中の総統選挙の展開に対しても、非常に大きな影響を及ぼすことになった。
香港と台湾の法的関係
15日に改正案の審議見送りを表明した林鄭月娥(キャリー・ラム)香港行政長官の会見では、「台湾」という言葉が何度も繰り返された。逃亡犯条例を香港対中国の文脈で理解していた日本人にとっては、いささか不思議な光景に映ったかもしれない。
この逃亡犯条例の改正は、台湾旅行中の香港人カップルの間で起きた殺人事件がきっかけだった。殺された女性はトランクに詰められて空き地に放置され、男性は台湾から香港に戻っていた。香港警察は別件でこの男性の身柄を逮捕しているが、殺人事件自体は「属地主義」のため、香港で裁くことはできない。台湾に移送し、殺人事件として裁かれることは、香港社会の官民問わずの希望だっただろう。
しかし、事態を複雑にしたのは、香港と台湾の法的関係だった。香港は法的にも実体的にも中華人民共和国の一部であるが、台湾は中華人民共和国が中国の一部だと主張していても、実体は独立した政治体制である。
現行の逃亡犯条例には「香港以外の中国には適用しない」との条項があるため、これを削除して台湾も含む「中国」へ容疑者の身柄を引き渡せるようにするのが今回の改正案なのだが、そこには「中央政府の同意のもと、容疑者を移送する」とある。台湾の「中央政府」は果たして台北なのか北京なのか、香港政府の判断はなかなか難しい。
さらに5月9日の時点で台湾の大陸委員会の報道官が「国民の身柄が大陸に移送されない保証がない限り、改正案が通っても香港との協力には応じない」と明らかにしている。香港政府が当初の改正理由に掲げた「身柄引き渡しにおける法の不備」を解消するという必要性はあるとしても、殺人事件を理由に法改正を急ぐ必然性は失われており、市民の反対の論拠の1つになっていた。
林鄭行政長官の記者会見でも、審議延期の理由として台湾の協力が得られない点を強調しており、「台湾に責任を押し付けることで事態を切り抜けようとしている」(台湾メディア)と見えなくはない。
もう1人の勝者は蔡英文総統
香港デモの最大の勝者は、法案の延期を勝ち取った香港市民であるが、もう1人の勝者は紛れもなく台湾の蔡英文総統であった。
与党・民進党では、総統選の予備選がデモの発生と同時に進んでいた。民進党は世論調査方式を採用しており、香港で103万人デモが行われた翌日の6月10日から12日まで世論調査が実施された。13日発表の結果は、蔡総統が対立候補の頼清徳・前行政院長に7~9ポイントの差をつけての「圧勝」だった。
予備選が始まった3月末時点では逆に頼氏に大きく差を開けられていた蔡総統だが、候補者決定の時期を当初予定の4月から6月にずらしていくことで支持率回復の時間稼ぎを試み、頼氏と並ぶか追い抜いたところで、香港デモのタイミングにぶつかった。
政治家には運がどうしても必要だ。その意味では、蔡総統は運を味方につけた形になったが、香港デモの追い風はそれだけではない。対中関係の改善を掲げ、「韓流ブーム」を巻き起こした野党・国民党の韓国瑜・高雄市長は、すでに国民党の予備選出馬を事実上表明して運動を始めているが、その勢いは香港デモによって損なわれている。
韓市長は、3月に香港と中国を訪れ、特に香港では、中国政府の香港代表機関である「中央政府駐香港聯絡弁公室(中聯弁)」を訪問するという異例の行動をとっていた。香港の抗議デモがなければ、この行動は賛否両論の形で終わっていたが、香港政府や中国との密接ぶりを演じたパフォーマンスは、今になって裏目に出た形となっている。
対中関係については民進党と国民党の中間的なスタンスを取っている第3の有力候補、柯文哲・台北市長も打撃を受けており、この3人を並べて支持を聞いた今回の世論調査では、これまで同様の調査で最下位であった蔡総統が一気にトップに躍り出ていたのだ。
「今日の香港は明日の台湾」
この背後には、香港情勢をまるで自分のことのように感じている台湾社会の感情がある。香港に適用された「一国二制度」は、もともと台湾のために鄧小平時代に設計されたものだ。香港で「成功」するかどうかが台湾統一の試金石になる。どのような形でも統一にはノーというのが現時点での台湾社会のコンセンサスだが、それでも、香港が中国の約束通り、「高度な自治」「港人治港(香港人による香港統治)」を実現できているかどうか、台湾人はじっと注意深く見守っている。
香港のデモは連日台湾でも大きく報道され、台湾での一国二制度の「商品価値」はさらに大きく磨り減った。一国二制度に対して厳しい態度を示している民進党は、総統選において有利になる。「今日の香港は明日の台湾」という言葉が語られれば語られるほど、香港は台湾にとって想像したくない未来に映り、その未来を回避してくれる候補者に有権者は一票を託したくなるのだ。
かつて香港人は、欧米流の制度があり、改革開放を進める中国大陸ともつながる香港の方が台湾より上だという優越感を持っていた。しかし、香港の人権や言論の状況が悪化し始め、特に「雨傘運動」以降、政治難民に近いような形も含めて、台湾に移住する香港人が増え始めている。香港に失望した人々にとって民主と自由があり中国と一線を画している台湾は、親近感を覚える対象になった。
また、香港では言論や政治で縛りが厳しくなっているため、今年の天安門事件30周年の記念行事でも、かつての学生リーダーを欧米などから招いた大型シンポジウムは、香港ではなく、あえて台湾で開催されていた。
反響しあって大きなうねりを起こす
香港では皮肉なことに返還後の教育で育った若い世代ほど、英語よりも普通語(台湾では北京語)の能力が高く、台湾と香港との交流の壁は低くなっている。
一方、台湾からの影響力の拡大を懸念した香港政府は、台湾の民進党関係者や中国に批判的な有識者や活動家に対して、入国許可を出さないケースが相次いでおり、民間レベルでは近づきなから、政治レベルでは距離が広がる形になっている。
香港の雨傘運動は、台湾の「ひまわり運動」から5カ月後に発生した。タイミングは偶然だったかもしれないが、「中国」という巨大な他者の圧力に飲み込まれまいとする両地にとっては、それぞれの環境が反響しあって大きなうねりを起こすことを、2014年に続いて改めて目撃することになった。
台湾のアイデンティティが「中国人」から「台湾人」へ大きくシフトし、香港人のアイデンティティも若い世代ほど「中国意識」が薄れてきている。香港・台湾の人々の脱中国という心理の動きは、中国政府の今後の対応如何でさらに進行していくだろう。
今回の200万人という再度の大規模デモでは、あくまで市民は逃亡犯条例改正案の審議延期では満足せずに撤回を求めており、香港人の怒りはしばらく収まりそうにない。
台湾の総統選は半年あまり先に迫っている。「一国二制度と中国」を巡って起きている香港・台湾両地の共鳴現象は、今後注目を要する視点になるだろう。