川崎20人殺傷事件、立川志らくの「一人で死んでくれ」は正論か暴論か
「一人で死んでくれ」炎上で置き去りにされる重大議論(1/2)
罪のない子どもたちに容赦なく刃を突き立て、自ら命を絶った「ひきこもり」の殺人鬼。そんな男に投げかけられた「一人で死んでくれ」という声は正論か、はたまた暴論か。
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何ひとつ落ち度のないわが子が、なぜ凶刃に倒れなければならなかったのか。しかも、憎むべき凶悪犯は自ら死を選び、怒りの矛先を向けることすらできない。
あまりに理不尽かつ凄惨な事件を前に、とりわけ幼い子どもを持つ親たちが次のような思いに駆られたとしても当然だろう。
「事件」直後の情報番組で、その偽らざる心情を代弁したのは落語家の立川志らくだった。曰く、
〈一人の頭のおかしい人が出てきて、死にたいなら一人で死んでくれよって、そういう人は。なんで弱い子どものところに飛び込んでんだって〉
「そういう人」とは、言うまでもなく、無差別殺傷事件の容疑者・岩崎隆一(51)を指す。
5月28日、川崎市多摩区のスクールバス停留所付近に現れた岩崎容疑者は、両手に掴んだ柳刃包丁で次々に小学生らに切りつけた。2人が死亡し、18人が重軽傷、犯行現場は文字通り血の海と化した。
岩崎容疑者が暮らした一軒家は現場から8キロほど離れた住宅街にある。幼い頃に両親が離婚し、この伯父夫婦の家に預けられたが、事件発生までの生活の実態は、30年以上に亘る「ひきこもり」に他ならなかった。
スマホもパソコンも持たず、社会から隔絶された五十路の男が、刃渡り30センチの凶器を手に縁もゆかりもない子どもたちに猛然と襲いかかり、挙句に自刃して果てたわけである。
志らくならずとも、多くの人々の胸に〈一人で死んでくれよ〉という言葉が浮かんだはずだ。
だが、まもなくこの発言に賛否の声が沸き上がり、炎上騒動へと発展したのはご承知の通り。
志らく発言を「至極真っ当な意見」と評すのは文筆家の古谷経衡氏である。
「確かに、“死んでくれ”という強い言葉は普段であれば批判の対象になるでしょう。しかし、今回の事件にはそうした平時の良識を上回る特殊性があります。20名もの人々が事件に巻き込まれ、2名の尊い命が失われた近年稀にみる凶悪犯罪で、殺傷の対象となったのは弱い立場にある小学生だった。その上、犯人は自死している。すでに死亡した犯人を法で裁くことができない一方で、被害者はもちろん、多くの方々が心に大きな傷を負いました。彼らの痛みに寄り添えば、“一人で死んでくれ”と考えるのは当然の感覚で全く批判には当たりません」
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