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最強空手家を勝たせないよう介入した 極真創始者・大山倍達
あまりの強さに「超人」と言われた空手家、黒澤浩樹が今年3月、54歳という若さで亡くなった。
試合中に骨が露出しても闘い続けるそのスタイルは「格闘機械」の異名を取り、極真空手引退後はK-1などプロ格闘技にも参戦したことで知られる。
極真空手史上に残る名選手だが、全日本選手権大会での優勝はデビュー戦の1回のみ。
記録より記憶に残る選手と言われたが、黒澤の鮮烈なデビューを目撃し、彼と最も近かった作家・小島一志氏は、発売中の月刊誌「新潮45」6月号「最強空手家はいかに逝ったか」で衝撃の事実を明かした。...
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そして、リヴェンジは果たされた――「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(書評:平野啓一郎)
木村政彦は、生き恥さらした男である。――武田泰淳の『司馬遷』の有名な冒頭に倣ったそんな一文が、私の頭を何度か過ぎった。
司馬遷は、恐るべき恥辱を受けた後に、「徹底的に大きな事を考え」、成し遂げた。彼は『史記』を著し、歴史を書いた。木村政彦は無論、歴史を書いたわけではない。歴史を書いたのは、彼を心から敬愛し、その恥辱を我が事として受け止めた著者の増田俊也氏である。物々しいタイトルに怯む事なかれ。これはまさしく魂の仕事である。...
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