「三浦百恵」さんが40年ぶりに新著を出版 顔写真付きで女性週刊誌も泣いて喜ぶ
キルトに込めた○○○の思い
過去の記事を読み進めていくと、百恵さんがキルト作りを始めたのは88年頃であるようだ。長男でシンガーソングライター・俳優の祐太朗(84年生まれ)、次男で俳優の貴大(85年生まれ)がそれぞれ4歳と3歳になり、少し自分の時間が持てるようになった頃だろう。以来、鷲沢氏の教室「キルトおぶはーと」に通い続け、様々あるクラスの中で、最上クラスにいるのが百恵さんだという。
彼女の作品について最初に記事になったのが「週刊女性」(94年3月22日号)で、この頃はまだ、“パッチワーク”と書かれている。百恵さんには“キルト”を世に広めた功績もあるかもしれない。彼女が出品する、「キルトおぶはーと」展示会(毎年11月末)と「東京国際キルトフェスティバル」(毎年1月末)が開催されるたびに、作品が紹介されるからだ。
また、これらの記事で特徴的なのが、ご本人のコメントをいただけないために、その作品のタイトルや、作品につけられた短い解説文などから、じつに想像力豊かにキルトに込められた彼女の思いが、勝手に記事にされていることだ。その先鞭をつけたと思われるのが「週刊女性」(02年2月12日号)の「三浦百恵さん キルトに込めた母への“想い”」だ。
当時、銀座三越で開催された「和のキルト展」に「ぬくもり」という作品を出品した。亡き母の形見である友禅を使って製作され、加えて、作品のコメントには、〈母が着ていた着物は私の記憶の中の色よりも、もっと深みのある味わい深い色合いで、キルトにしてよかったと思います〉とあったから、そこから母への想いが込められていると解釈したわけだ。
しかし、その後、「キルトに込めた○○○の思い」という手法は次第にエスカレートしていく。
例えば「女性自身」(03年2月18日号)の「百恵さん キルトに込めた天国の恩人への思い!」では、彼女がデビューするきっかけとなった「スター誕生!」(日本テレビ系)の池田文雄プロデューサーがこの年の1月下旬に亡くなったことと、その2日後に開催された「東京国際キルトフェスティバル」に出品した作品とを結びつけたようだ。気持ちはわからぬではないが、百恵さんのキルト製作はミシンは使わず、手縫いにこだわるため、半年から数年といった非常に長い時間がかかる。いくら恩人でも、心不全で急逝した人の思いをキルトに込めることは無理だろう。
また「キルトに込めた思い」は、時を経て変化することも。10年に発表された作品「元気を出して!」は、〈私の女友達たち頑張って!(私も)〉とフランス語で解説が付いた作品。2月の「女性自身」では、展示ブースがたまたま同じで、長女を亡くしたばかりのキャシー中島への励ましが込められていたが、12月の「女性自身」では、自身の息子たちに向けたものにもなった。いやはや、記者の想像力たるや……。
いずれにせよ、女性週刊誌にとって、今回の出版は格好のネタになることは間違いない。
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