都会で進学・就職したものの「Uターン」した女性が抱えるしんどさの正体
気鋭のライター・姫野桂さんが「女性の生きづらさ」について綴る連載「『普通の女子』になれなかった私へ」第7回。姫野さんが地元・宮崎での旧友との再会を通じて感じた「地方と都会、それぞれの生きづらさ」について綴ります。
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私たちは井の中の蛙だった
先日、中高時代の友人の結婚式参列のため、地元である宮崎市へ帰省した。18歳で上京して以降、地元へは大抵盆と正月の年2回、帰省している。今回は、久しぶりに4月の帰省となった。
母校は中高一貫の進学校だったので、9割の生徒が大学へ進学する。そして、宮崎県以外の大学へ行く人も多かった。大まかに分けると関西や東京の私立大組、そして九州の国公立・私立大組、あとは地元や九州以外の地方の国公立大組に分かれる。
宮崎市は人口約40万人。テレビは民放が2局しか映らない。月9のドラマが土曜日の夕方に放送されていたり、本来なら子どもが見られる時間に放送される子ども向けアニメが深夜に放送されていたりする。
全体的に時間がゆっくりと流れる。今は安全面から2列に並んで乗るよう推奨されているエスカレーターであるが、宮崎は昔からみんな2列で乗っている。首都圏では、歩く人用にエスカレーターの片側を空けて乗るのが暗黙のマナーになっているが、宮崎では急いでいる人が少ないのか、片側を空けるという概念自体がない。宮崎駅に自動改札機が導入されたのは2015年。できた当初は自動改札機の使い方が分からない人が続出したという。
今は少子化に加え、周りの高校が学力アップに力を入れ始めて定員割れしているらしいが、当時、母校は「ちょっと頭の良い地元のお坊ちゃま・お嬢様」が行く学校だった。クラスの3分の1は開業医の子ども。あとは、地元の有力企業の経営者の子ども、そして公務員の子どもだった。
中2にしてセンター試験の数学の問題をゲーム感覚で解いている生徒もいた。私はLD(学習障害・算数のみ)の影響もあり、数学はてんでダメだったが、国語と社会はよくできた。百人一首は全部覚えていたし、学校の図書館にあるほとんどの小説を読破していた。もっと面白い小説はないのか、常に本に飢えていた。
文学を学びたくて、日本女子大学文学部日本文学科へ進学。そこで私はカルチャーショックを受ける。同級生の7割は東京や千葉、埼玉、神奈川など東京近辺出身の子たちで、私のような地方出身者は少なかった。
みんな源氏物語を全部読んでいて好きな巻を言える。そこまでは想定範囲内だった。ちなみに私は六条御息所が好きだ。
みんな、レポートや発表のレジュメの参考資料となる論文の探し方がうまく、きちんと自分のテーマを追求し、考察までできる。私はというと、まず論文の探し方が分からない。TA(ティーチングアシスタント。学部生へ勉強のアドバイスをする大学院生)に論文の探し方を尋ねるも「自分で考えなさい」と追い返されてしまった。そこで、なんとか自己流で参考論文を探し、徹夜でまとめて発表するも、教授からはダメ出しの嵐。自分の発表の日が近づくといつも、今度こそダメ出しされないぞ! という気合と少しの憂鬱を抱えていた。
地元にいた頃は文学少女という立ち位置だったが、都会に出たらいくらでも自分よりもっと詳しい人がいた。それは他の同級生も同じだったようで、都会の荒波に揉まれて、数カ月で大学を中退してしまったり、心を病んでしまったりした同級生の噂も聞いた。私たちは井の中の蛙だったのだ。
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