徳川宗家「第19代目」が参院選に出馬 自民党ではなく立憲民主党を選んだ理由

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なぜ立憲民主党なのか?

――なぜ立憲民主党から立候補されたのですか? 北海道知事選では自民党の候補として出馬すると報道されました。

徳川:北海道知事選では、自民党の皆さんと相談していたことが、たまたま記事になりました。しかし、他党ともやり取りはあったんです。北海道は衰退する日本の象徴と言えます。ここで対策を講じることができたなら、それは日本全体で参考になる政策でしょう。

 その経験を踏まえて、参院選では静岡選挙区から立候補することを決めました。なぜ立憲民主党かと言えば、私の考えは立憲民主党の政策と同じだからです。

 徳川幕府の最高法規の1つに、禁中並公家諸法度があります。天皇陛下の政治的中立が謳われており、これを当時の“憲法”と表現することが可能です。

 そして諸法度は制定されてから大政奉還までの250年間、ただの1行も変えられていません。天皇陛下から国政を預っているという意識を徳川家は強く持っていました。つまり徳川家の基本方針は、立憲主義と平和主義だったのです。

 また現在、日本の有権者の平均的な感覚は、立憲民主党の主張に近いと思うんです。自民党ではない。

 例えば、今の上皇が退位の意向を明らかにされた際、朝日新聞の世論調査では90%以上、産経新聞でも60%近くが賛成しました。つまり日本人の85%くらいが賛成したと考えられるでしょう。

 ところが当初、官邸も自民党も難色を示していたことは、皆さんもご記憶でしょう。天皇の政治的中立を問題視したわけですが、そんな話ではなかったのです。

 個人の幸福追求権や生存権という文脈で受け止められるべきことでした。上皇陛下は当時、「85歳になったので辞めさせてください」と国民に相談されたわけで、それに圧倒的多数の国民が共感と賛意を示した。それが今の日本人の感覚ですが、与党自民党の感覚はズレていたと思います。

 丸山穂高議員(35)の戦争発言も、1つだけ良いところを見つけるなら、日本人全体の感覚と政治家の感覚がズレていることを、如実に示したわけです。これだけは不幸中の幸いと考えられます。

――反アベノミクス、反新自由主義も主張しておられます。

徳川:反原発、護憲、そして反アベノミクス(反新自由主義)が、私の主張の3本柱です。2008年のリーマンショックを経て、日本の経済学会も、新自由主義的な理論を主張する経済学者が増えています。

 しかし、それが散々たる結果に終わっているのは、私たちの生活実感からも明らかでしょう。どこの会社も苦しいのです。日本の人口の1%に満たない人はアベノミクスの恩恵を受けたかもしれませんが、残りの方は生活が苦しく、将来に対する不安を抱えています。

 バブル景気は1986年から始まったとされていますが、その前の経済水準と比べても現在は貧困が拡大し、経済格差は広がっています。

 国民の誰もが「おかしい」と思っているのですが、テレビを筆頭とする大手メディアは「安倍政権の経済政策はおかしい」と指摘しないため、誰も「おかしい」とは言えない状況になってしまっています。

 戦後、日本経済が生んだ最高傑作は、1979年にソニーが発売したウォークマンかもしれません。あれは日本ではないと開発されなかった。満員電車で通勤・通学する人たちが、「ぎゅうぎゅうの車内でも、なんとかプライベートな空間を確保できないか」と願ったのが原点です。

 普通の日本人の希望が反映されたわけですが、重要なのは、当時の日本人は“夢の新商品”を買うお金を持っていたということです。日本人なりの幸せが製品の形で具現、更に世界中に輸出され、「メイドインジャパン」の名を高めていった。

 ビデオデッキもそうです。当時の日本人は残業が多かったので、ニーズがあったんですね。当時の10万円というのは相当な高価格ですが、非常に早いスピードで普及していった。あの頃の日本には、しっかりとした中間層が存在していたのです。

――最近、立憲民主党の支持率が低下していることは、どうお考えですか?

徳川:自民党で上手くいくように見えてしまっているのが原因でしょう。総理大臣が「高度経済成長の時代に戻れます」と旗を振り、国民もファンタジーを信じてしまう。信じざるを得ないという側面もあるでしょう。

 一方の立憲民主党は、結党して間もないという点もあります。ただ、野党共闘が進み、立憲民主党が「私たち日本人の伝統的な価値観に照らし合わせると、自民党の主張はここが間違っています」という主張をできるようになれば、きっと支持率は上がっていくと思います。

――政治家になろうと決心されたのは、いつ頃からですか?

徳川:一昨年か去年というところでしょうか。私は翻訳と著述をしていましたので、活字文化の衰退を通して日本の衰退を実感するようになりました。

 北海道知事選もそうですが、もともと政治家の皆さんと話をする機会は多かったのです。自民党にも友人は少なくないですが、実は最も知人が多いのは国民民主党です。

 そういうことになりますと、私は旧民主党における右派に最も知り合いが多いということになります。とはいえ、政治家としてどこの党から出馬するか、各党の皆さんとお話をさせていただく中で、最終的に一番主張が合う立憲民主党にしました。

週刊新潮WEB取材班

2019年6月13日掲載

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