「みんな」か「ひとり」か(古市憲寿)
「早く行きたければ一人で、遠くへ行きたいならみんなで」。そんな格言がある。
極端な例はアポロ計画だろう。たった一人で月まで行くのは不可能だ。人類史を振り返っても、我々が月まで行けたのは半世紀前の、たった数年間だけである。
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NASAによれば、アポロ計画では最大で40万人が雇用されていたという。それまで人類が積み上げてきた科学技術と、数十万人の協力があって初めて、12人の宇宙飛行士を月に立たせることができた。
しかし大プロジェクトを運営するのは大変である。アポロ計画どころか、町内会の夏祭りでさえ決めごとやら諍いに溢れているはずだ。延々と会議を続けても何も決まらなかったり、メンツを巡ってつまらない喧嘩が発生したり、不倫騒ぎが起きたりと、「みんな」での行動に悩みは尽きない。
一方で、単独での行動は気楽でスピーディだ。自分さえ満足させればいい人生は、それほどストレスもかからない。
だけど誰の助けも借りずに行ける場所には限界がある。夏祭りどころか、十数人を呼ぶホームパーティーでさえ一人で準備するのは難しい。このエッセイも、書いているのは僕一人だが、出版社や印刷所、書店やコンビニなどで働く人々の手がなければ、誰の元にも届かない(と、殊勝なことを言ってみた)。
より遠くを目指す場合、どれだけの規模で「みんな」を巻き込むかという問題がある。たとえばアイドルを例に考えてみよう。
すっかりAKBグループの代名詞となった握手会だが、昔からレコードの販促イベントでは握手が行われていた。名称は「サイン会」や「ファンの集い」だったかも知れないが、当然のようにファンとアイドルは握手をしていたはずだ。
僕も新刊のサイン会をすることがあるし、握手もする(ただし、知らない誰かの手がきれいという確証はないので、おしぼりを近くに置いておく)。
AKBの発明は、握手という一ファンサービスをライブ付きのショーに仕立て上げ、広く一般にも認知させたことだ。この「広く一般」という点が大事である。
実のところ、身体接触を最も巧くお金に換えているのは地下アイドルだろう。彼ら・彼女たちは、握手やチェキでの写真撮影という建前で、ファンと過ごす時間を売っている。このように地下アイドルは少数のファンから多額のお金を得る。しかし「地下」という言葉が示すように、個別のアイドルやグループにインパクトはそれほどない。
比べてAKBグループは、日本中に知れ渡る存在になった。この十数年での経済効果は計り知れない。しかし「みんな」を巻き込むほどにトラブルも増える。それは「みんな」を選んだあらゆるプロジェクトの宿命だ。
一人で気楽に行くのか、それとも仲間と遠くを目指すのか。もちろんいいとこ取りをしてもいい。僕は一人が楽だとは思っているが、すぐに他人に頼るようにしている。そこそこ遠くまで行けるといいなあ。