【著者対談】「大国の周縁」から見た地政学
池内 北岡先生の本で面白いと思ったのは、中国やロシアなど大陸国(ランドパワー)の周縁を丹念に回り、現地の視点から地政学を捉え直している点です。
第一章に出てくる極東ロシアのウラジオストクには、じつは私も同行しました。
北岡 そうそう、ウラジオで池内さんが迷子になって……(笑)。
池内 私がトイレに行っている間に、みんながさっさと車に乗って会議場に出発してしまった(笑)。でも、会議の相手のロシア科学アカデミーが若いロシア人の研究者を迎えに来させて、オンボロの自家用車で来てくれて、おかげで車内で率直な意見交換ができました。このような予想外のハプニングから、意外な情報やアイディアが得られたりするので、実際に自分の足で世界を回ることは、研究者にとって大切なことだと思います。
北岡 近代史の研究者として、ウラジオの駅舎を見た時は、やはり感慨深いものがありましたね。いろいろなことを思い出しました。たとえば幕末の頃は、ロシアより英米を脅威と感じる日本人も多かった。それが明治になってシベリア鉄道がウラジオまで来ることが分かると、一気にロシアに対する警戒感が高まった。たしかにウラジオから函館までは意外に近いんです。緯度もほとんど変わらないけど、ウラジオの港は冬は凍結して使えない。だからロシアにとって函館の開港は非常に重要でした。彼らからすれば函館は「冬場の港」だったわけです。
池内 ウラジオ駅からモスクワ行きの電車が出発するのを見学していたら、恋人を見送りに来ていた若い女性が泣いていました。モスクワまでは九千キロ以上あり、鉄道で1週間ぐらいかかる。広大な国土が持つ圧力を感じました。
北岡 「距離の暴虐」ですね。元来はオーストラリアについて使った言葉ですが、ロシアにも当てはまる。国際政治学者のモーゲンソーが言うように、広大な国土はそれだけで国力の一要素です。
地政学は基本的にドイツやロシアなど大陸国を中心に発展した学問で、特に軍事力を中心に語られることが多い。しかし日本のような海洋国家から見ると、考え方が少し異なる面もあります。今回の本では、軍事力や経済力だけではなく、あえて民族・宗教・伝統といった要素に注目してみました。大国の周辺に位置する小さな国がどうやってアイデンティティーを失わず生き残っているのか――そのような問題意識を持って各国を歩いてみたつもりです。
海洋国家の地政学
池内 序章ではまず海洋国家的な「自由で開かれたインド太平洋構想」について書かれていますね。私のような中東研究者ですと、地政学はもっぱら海上権力(シーパワー)を中心に考えます。スエズ運河、バーブ・エル・マンデブ海峡、ホルムズ海峡といったチョークポイント(海上水路の要衝)をどう押さえるか、海上権力の大国が最重要視したことによって「地域」と認識されるようになったのが近代の中東です。
北岡 スエズ運河と、それを管理するエジプトは、日本にとって非常に大切です。本でも書いたように、私もJICA理事長としてエジプト大統領と2度会談し、初等教育への協力を実施しています。
紅海の入口であるバーブ・エル・マンデブ海峡について言えば、エリトリア情勢に注目する必要があります。エチオピアとの紛争が沈静化すれば、いま各国が拠点を置いている隣国ジブチよりも、エリトリアの方が重要になるかも知れない。
ホルムズ海峡も、日本が石油を確保するための生命線です。ただシェールオイルやその他のエネルギー革命によって、その状況が変わる可能性もあります。
池内 日本ではお役所でも大学でも「主流派」と目される人々は、どうしても経験や視野が欧米に偏りがちです。それだけに、北岡先生が中東やアフリカの国々をご自身で回って、その重要性を本に書いて下さるのは、とてもありがたいです。これらの地域に注目するようになったのは、やはり国連大使を経験されたことが大きいのでしょうか。
北岡 国連の選挙では1国1票ですからね。ただ、そのような打算を抜きにして、真剣に課題に取り組んでいる国には、国力の大小に関係なく、きちんと目配りする義務があると感じてきました。
国連総会では、大国の首脳がスピーチすると、各国の大使が舞台裏にずらっと並んで、「いや、素晴らしい挨拶でした」とかやるわけです。これが小国の首脳の場合だとほんの数人しか待っていない。私は小国の時でもできる限り行くようにしていました。日本は19世紀以降、西洋中心の国際社会の中に入っていき、世界有数の先進国になった。そのような経験を積んだ日本には、同じ道を目指そうという小国の話にしっかり耳を傾ける義務があるような気がするんです。
民主化支援の考え方
池内 中東では紛争が相次いでいます。JICAの活動は、ある程度情勢が安定している国に限られますが、それ以外の紛争地域への関与については、どのように考えているのでしょうか。
北岡 イラクについて言えば、昨年も、シーア派、スンニ派、クルド人の各勢力の議員を日本に招いて、東京、京都、広島を旅しながら、戦後復興と和解について考えてもらう「知見共有セミナー」を開催しました。3派の議員たちが、数日間にわたり一緒にご飯を食べて、寝泊まりする機会などは基本的にないわけで、日本ならではの国際協力だと思います。
池内 パレスチナ紛争についてはどうでしょうか。
北岡 かつてノルウェーがオスロ合意に貢献したように、日本も何かできればいいとは思います。ただ、私は地域の揉め事は当事者同士が主体的に話し合って解決しないとダメだと考えています。外部から圧力をかけて無理やり決めても上手く行かない。日本が出来るのは「知見共有セミナー」のようなささやかなきっかけ作り。もちろん爆弾テロの1発で成果がふっ飛ぶような話ですが、それでも機が熟せば芽が出るかも知れない。
池内 これまでアメリカは一方で軍事力を使い、もう一方で普遍的価値、つまり人権と民主主義を強く主張することによって、中東に関与して来ました。しかしここに来て「中東疲れ」というか、どうも世界には必ずしも民主主義がそのままでは適用可能ではない地域があるらしいと気づき始めたように思います。
北岡 本書で南スーダン問題について書きましたが、アフリカでは、アメリカ流の大統領制民主主義を押し付けて失敗することが多いのです。アフリカは基本的に部族社会ですから、選挙で大統領を決めたら、常に多数派が勝ち、少数部族が不利益を被る。すると少数派はゲリラ戦に走る。部族社会では議会制民主主義にして、議会で部族間による「妥協の政治」が行われるようにした方がいい。
池内 アメリカは、イランに対してもバランスを欠いているように思います。
北岡 その通りで、北朝鮮とイランを同列に置くなんておかしな話です。アメリカとの関係で言えば、イラン、ミャンマー、キューバの3ヵ国が難しい。日本からすれば、いずれも「まあまあの国」で、そんなに悪い国ではない。あまり性急に民主化を求めても、「アラブの春」と同様、逆効果になる危険性もある。
今はミャンマーに対する国際社会の批判は厳しいけれど、かつて日本がインドネシアのスカルノ体制の経済開発を支えて結果的に民主化が進んだように、辛抱強く見守っていく必要があると思います。
中国にどう向き合うか
池内 今回の本では、中国を訪問した話は入っていません。しかし序章では「一帯一路」について詳しく書かれていますし、またアジアやアフリカの国々を論じる中でも、常に影のように中国の存在が感じられるような内容になっています。中国にどう向き合うかが、本書の隠れたテーマではないかと思いました。
北岡 地政学と言うなら、本来は真っ先にアメリカ、中国、朝鮮半島を書かなければなりません。しかし、これは非常に大きな問題で、すぐに片付く話ではない。せいぜい引き分け狙い、4勝6敗でも仕方がないというぐらいです。
一方で、外交の世界は大きな問題だけで成り立っているわけではありません。「遠交近攻」ではないですが、アジアやアフリカの国々と日常の問題について協力していくことが、じつは中国と向き合う国際秩序を作っていく上でも意外に有効なのではないかと考えています。
池内 もちろんJICAには中国に挑戦する気などないでしょうが、本を読むと、結果的に何となく中国を取り巻くように事業を展開しているように見えますね。
北岡 中国に対する警戒は必要ですが、だからと言って、何でも対抗する必要はないと考えています。本でも書いたように、「一帯一路」についても条件付きで協力して、むしろ中国と一緒になって開かれた国際秩序を作っていく方がいい。
アフリカ諸国への協力についても、どうしても「中国との援助競争」と思われてしまいがちです。しかし、お金を出せば、それで相手国の信頼と尊敬が得られるというわけではありません。先ほどの紛争解決の話と同じで、やはり現地の人が主役となって取り組まなければ発展などできません。日本がやるべきことは、現地の人の要望をしっかり聞いて、彼ら自身で問題を解決できるように側面からサポートすることです。
池内 中東でも、中国のプレゼンスは拡大していますが、そのおかげで日本が得している面もあります。これまで日本に無関心だった人々が振り向いてくれるようになりました。世界の重心が東アジアに移るに伴って、中国に依存しすぎないようにバランスをとる対象としての日本の影響力も増しているように感じます。
北岡 私は改憲論者ですが、日本国憲法前文の「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」という点は大いに賛成しています。青年海外協力隊の活動は、そのことに貢献してきたと思います。一方、日本は未だに対米依存が強く、大国としての責任を十分に果たしていません。世界が抱えている問題の解決に向けて、PKOをはじめ、もっと積極的に取り組まなければならない。JICA理事長になって、小さい国でも頑張っているところが多いことを知り、勇気づけられました。日本ももっと頑張ろうというのが本書で一番伝えたいメッセージです。
『波』2019年6月号より転載