菅野智之が復活、プロ野球選手は30歳を迎える頃から少しずつ太る【柴田勲のセブンアイズ】

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 巨人・菅野智之投手(29)が復活した。9日、東京ドームでのロッテ戦(交流戦)で25日ぶりに先発して白星を挙げた。今季は1発病に悩まされるなど本来の姿ではなかった。それに腰の違和感を訴えて出場選手登録を抹消されていた。

 7日、菅野は東京ドームのマウンドに立って試運転を行った。その際、原(辰徳)監督に直接、菅野の現状を聞いたが、「(菅野)智之は長い間やってきていますからね。疲れもあるだろうし、初めての故障だし……」と話していた。

 菅野はこれまで何度か故障による登録抹消があった。原監督が「初めての……」という言葉を使ったのはこれまでとはちょっと違うと言いたかったのかもしれない。

 立ち上がりは不安定、というよりも慎重だった。いきなり先頭の荻野(貴司)に二塁打を許して、その後、盗塁と2死四球が絡んで2死満塁とした。元々、コントロールは抜群だ。死球はここ3年で4個しかなかったことを思うと、さすがに緊張もあったのだろう。荻野に三盗を決められたが、これも背負った走者よりも、目の前の打者により一層集中し、余裕がなかったせいもある。

 だが、このピンチで菅野(剛士)を迎えて2ストライク2ボールから外角高めの151キロ真っすぐで空振り三振に仕留めた。内角を見せて最後は力のあるボールでらしさを見せた。

 二回以降は走者なしでもセットポジションで投球した。六回、鈴木(大地)に1発を浴びたが、これは真ん中高めのスライダーで、甘いボールだった。

 100球をメドに(実際は98球)、6回を被安打3、4死四球で2失点。本来の好調時と比べるとやや不満は残るが、球の切れもあった。25日ぶりの復帰登板から合格点だろう。

 悪い時はどうしても手投げになり、指先でごまかしてしまう。5月がそうだった。この日は下半身を使って、体重もそれなりに乗っていた。

 いうまでもなく、菅野は巨人のエースだ。悪いときも、悪いなりに投げて抑える。この条件をしっかりと守って勝利に貢献した。

 捕手は炭谷(銀仁朗)だった。7日も相手をしていたし、炭谷がマスクをかぶるのだろうと見ていた。今季、初めてのコンビだ。炭谷は昨季まで西武でプレーしており、パ・リーグとの交流戦ではもってこいだし、これまでコンビを組んできた小林(誠司)とは違ったリードも期待したのだろう。でも、その狙いは菅野の再スタートに当たっての、ちょっとした“気分転換”だったと見る。新鮮な気持ちでマウンドに立てる。原監督か宮本(和知)投手コーチから菅野にアドバイスがあったのではないか。

 これからの菅野だが、やはり腰の違和感を再発させないように肉体面のケアを徹底する必要がある。梅雨に入って、これから本格的な夏場を迎える。

 一部には「太りすぎ」なんて声が聞こえてくるけど、プロ野球選手は大体、30歳を迎える頃から少しずつ太っていく。適度な運動をして美味いものを食べる。これは当然なことで、30歳を越えると1年に1キロ増なんて選手もいる。

 過度に神経質になる必要はないけど、一度、腰痛を抱えると厄介な爆弾になる。原因は分かっているはずだ。体調管理が今後のカギの1つだ。

 巨人の交流戦だが、これから西武、日本ハム、ソフトバンクと強力打線を擁するチームとの対戦が待っている。投手陣がどれだけしのいでいけるか。交流戦の勝敗が後半戦を左右するだけに、ここはなんとか踏ん張って勝ち越して欲しい。

 その意味でも白星が計算できるエース・菅野が戻ってきて、安心感が広がったのは大きい。その菅野の次回登板は中6日で日本ハム戦(札幌D)が有力だ。大いに注目したい。

柴田勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会副理事長、14年から巨人OB会会長を務める。

週刊新潮WEB取材班

2019年6月11日掲載

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