「雅子皇后」の英語力にメラニア夫人も感心 ロシア語、仏語、独語もかなりの実力
令和の時代になって、初の国賓として来日したトランプ大統領夫妻。外国の要人の来日でこれだけ世間の関心を集めたのは、英国のダイアナ妃以来なんていう声も聞こえてくる。
さる官邸関係者は、
「トランプ大統領夫妻は、天皇皇后両陛下と会見されることについて、光栄なことだと思っていたそうです。メラニア夫人は、雅子皇后と会話し、『皇后の英語はすごくきれいだ』と周囲に語っていたときいています」
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5月27日、宮殿「豊明殿」での宮中晩餐会を終えた後、天皇両陛下がトランプ夫妻を見送られたときのことである。トランプ大統領が陛下と握手し、次いで、雅子皇后とメラニア夫人に握手を促せたとき、メラニア夫人は情愛のこもった眼差しで皇后を見つめ、握手した。すると雅子皇后はメラニア夫人の手を握り、両頬を軽く触れ合わせるチークキスを交わされたのである。
「アメリカでは、チークキスはほとんど見られません。ヨーロッパの慣習ですね。メラニア夫人は東欧スベロニアの出身ですから、それを知った皇后がごく自然に振る舞ったわけですが、ほんのわずかの間にチークキスを交わせる間柄になるなんて、余程のコミュニケーションが取れないとできません。皇后の語学力は恐るべきものですよ」
と話すのは、皇室ジャーナリストの神田秀一氏である。
6月4日には、両陛下はクロアチアのヤンドロコビッチ議長夫妻と懇談されたが、ここでも雅子皇后の語学力が光った。皇后と議長夫人の間で話が盛り上がり、陛下と議長が先に椅子に座られたのに、それに気づかず話し続けた。陛下は笑いながら、皇后に着席を促した。皇太子妃時代にはあまり見られなかった、生き生きとしたご様子が伝わってくるのである。
雅子皇后は、5カ国語に長けていると言われている。
「雅子さまは、幼少の頃は父親の元外務事務次官の小和田恆さんの海外赴任先である旧ソ連やアメリカで過ごされています。雅子さまがモスクワで暮らしていらっしゃった頃の写真を小和田さんから見せてもらったことがあります。3歳くらいでしたが、この頃すでにロシア語を話されていたようですね」(同)
当時、雅子さまはロシア語で夢を見たり、妹にロシア語で話しかけたりするほど堪能だったという。
雅子さまが5歳の時、小和田一家はニューヨークへ移る。雅子さまはニューヨーク市立パブリックスクール付属幼稚園に1年間通われ、パブリックスクールに入学。7歳まで学んで帰国しているが、ここで英語をマスターされたようだ。が、元々小和田家では、家庭で普通に英語で会話する事が珍しくはなかったという。
ご一家が1992年12月30日から1月2日まで、外国人夫妻を招いて福島県猪苗代のホテルで過ごされた時、ソムリエはこんなことを語っている。
「雅子さまは紺系のお洋服をきちっと着ていらっしゃいました。モエのシャンパンで乾杯後2杯目をおつぎしようと雅子さまのところへまいりましたら“ノー・サンキュー”とおっしゃって……。(中略)外国人夫妻と話すときも家族同士で話すときも、すべて英語で話してらしたのが、とても印象的でした」(「微笑」1993年2月6日号)
田園調布雙葉高校1年の時、父親が在米日本大使館公使に就任したため、再びアメリカへ。当時、クラスメートとのお別れ会が教室で開かれた。雙葉の同級生は、
「クラスメートの一人が『お別れの歌』という歌をつくってオワ(雅子さまのニックネーム)のために歌ったのです。“涙は見せずに笑顔を送るから、あなたも私たちのことを忘れないでね”という内容の歌でした。すると、オワはそのお返しの意味でドイツ語でハイネの詩を朗読してくれたんです。とても美しい発音で、その時オワがドイツ語もできるんだってビックリしたのを覚えています」(「女性自身」2000年5月9日・16日合併号)
米国では、マサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクールに2年間通われた。この時、ドイツ語を学んでいる。ドイツ語もすぐに上達し、ドイツ語が優秀な学生に贈られるドイツ政府運営のドイツ総領事賞とゲーテ・インスティトゥート(ドイツの国際文化交流機関)賞を受賞したほどだ。ハイスクールを卒業後、ハーバード大学経済学部に入学した。
「雅子さまは、大学1年からフランス語のサークルに入って、フランス語を学んでいます」(神田氏)
大学1年の夏休みには、ドイツのゲーテ・インスティチュートでドイツ語の特訓をし、2年の時はフランスのグルノーブル大学の夏期講座に参加するなど、貪欲なほどに語学の研鑽を積んだ。
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