チケットが取れない2.5次元俳優「鈴木拡樹」が演じる「絶望人生」って?

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

 今、大注目なのが「2.5次元」と呼ばれるエンターテイメントのジャンルだ。ピンと来ないのはオジサンだけで、コミック、アニメ、ゲームなどの2次元作品を、独特の世界観とともに3次元の舞台や実写映画で再現。2次元作品から派生した書籍、フィギュア、キャラクターグッズ、加えて3次元作品から生まれるDVDなどの映像、音楽、出演俳優の関連グッズなども含めたメディアミックスにより、その市場規模は150億円を超えているという試算もあるのだが…。

 ***

「まさに役が降臨してきたように、演技がじょうず。2.5次元の舞台は原作の熱烈なファンが多いけれど、そんな気難しいファンが付いているようなキャラクターでも拡樹クンが演じるなら、と納得させる実力と実績がある」(ファンの女性)

「2.5次元」の舞台で今、もっとも注目されているのが鈴木拡樹(34)だ。「2.5次元」の代表格として、すでにレジェンドの域にある「刀剣乱舞」などの主演を務めてきた。

3千人クラスの箱(劇場)が一瞬で埋まる

 オジサンのために少し補足すると、「刀剣乱舞」はもともとはPC版のブラウザゲーム(シミュレーションゲーム)。「三日月宗近」「千子村正」等々の刀剣がイケメンヒーローに変身する(!)という、ちょっとビックリな設定となっている。そして、その「刀剣乱舞」や、美形キャラクターたちが数多く登場し「ビジュアル系西遊記」と呼ばれる「最遊記歌劇伝」に主演、「2.5次元」人気の牽引役と崇められているのが鈴木クンなのだ。

「今、もっとも舞台チケットが取れない俳優」「3千人クラスの箱(劇場)が一瞬で埋まる」とまで巷間言われる鈴木クン。この6月には「最遊記歌劇伝」シリーズでの6作目の主演が決まっている。ちなみに彼の役柄は玄奘三蔵だとか。

 さて、その鈴木クンの最近のもうひとつの話題が、彼が世界的文豪フランツ・カフカ(1883~1924年)として登場する「カフカの東京絶望日記」。こちらはYouTubeチャンネルで配信中のコメディドラマだが、舞台は2019年の東京。フリーターの文豪カフカは古い木造アパートに住み、パン屋でアルバイト(!)という設定。そして彼は絶えず、あらゆる事柄に絶望し続けているのだ(以下、引用は『絶望名人カフカの人生論』より)。

〈将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。将来にむかってつまづくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです〉

〈ぼくはいかなる事にも確信がもてず、自分の肉体という最も身近なものにさえ確信がもてませんでした。気苦労が多すぎて、背中が曲がりました〉

『変身』『城』など、シュールレアリズム風の作品群で知られるカフカだが、実際に「後ろ向き」の人物だったようだ。カフカの死後、残されたノートや日記、手紙にはこうした自虐や愚痴などの言葉が、夥しい数、書き連ねてあった。

〈二人でいると、彼(注・カフカ自身のこと)は一人のときよりも孤独を感じる〉

〈幸福になるための、完璧な方法がひとつだけある。それは、自己のなかにある確固たるものを信じ、しかもそれを磨くための努力をしないことである〉

〈目標があるのに、そこにいたる道はない。道を進んでいると思っているが、実際には尻込みをしているのだ〉

不思議と癒される、文豪カフカの「後ろ向きな言葉」

 このドラマがウケているのは、カフカという文豪と、「絶望」というキーワードが結び付いた意外性だろう。カフカは大真面目だが、その言葉を耳にして、思わずクスっとしてしまうのも事実。番組のメイキングで、鈴木クンは明るくこう語っている。

「カフカが絶望するその姿を見て、みんなが希望を持つというのがドラマのコンセプトです。でも、絶望を希望に感じてもらうのは難しい。僕自身、台本を読みながら何時間も悩み、絶望のスパイラルに入っていく感覚でした」

 カフカの代表作と言えば、ある朝、目覚めると虫になっていたという『変身』(こちらもすごい設定だが)。あの傑作についても、カフカは日記でボヤく、ボヤく。

〈『変身』に対するひどい嫌悪。とても読めたものじゃない結末。ほとんど底の底まで不完全だ。当時、出張旅行で邪魔されなかったら、もっとずっとよくなっていただろうに……〉

 このようなカフカだったから、もちろん恋愛もうまくいくわけがなかった。カフカはフェリーツェという女性を激しく愛し、婚約にまでこぎ着けているが、2度婚約し、2度とも自ら破棄(!)。フェリーツェは、何が何だか意味がわからなかったに違いない。さらにユーリエという女性とも婚約をし、これも解消。カフカは生涯独身の理由をこう綴る。

〈結婚を決意した瞬間から、もはや眠れなくなり、昼も夜も頭がカッカし、生きているというより、絶望して、ただうろついているだけ、という状態に陥りました〉

 同書には86の文章の断片が収められている。が、次の「絶望」にはもはや言葉を失うだろう。

〈ずいぶん遠くまで歩きました。五時間ほど、ひとりで。それでも孤独さが足りない。まったく人通りのない谷間なのですが、それでもさびしさが足りない〉

 こうした「絶望」の数々に、カフカを演じた鈴木クンはどんな感想を持ったのだろうか。

「生きていく中で、自分の理想に辿り着けなかったりすると、カフカの言うようにこのまま倒れていたほうがいいのかなと思う。でも希望と絶望との繰り返しで生きているからこそ、充実もある」(番組のメイキング)

 それが正しい。

デイリー新潮編集部

2019年6月7日掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。