スタートアップ大国「イスラエル」で見て聞いて感じた「実情」(上)
筆者は、中東やイスラエルの専門家ではないが、特にここ数年イスラエルへの関心を高めていた。元々はイスラエルには3つの宗教があり、ホロコースト等も含めたユダヤ人の建国への長い歴史などについても漠然とは知っていて、人類の歴史を知る上でいつかは訪問すべき地域・国であると思っていた。他方、中東、パレスチナやイスラム教など、日本人である筆者には、複雑でわかりにくいという印象をもっていた。
さらに近年、イスラエルは「スタートアップネーション」として世界的に注目されている国であり、昨年中国の急激な発展都市である深圳を訪れて以来、次はイスラエルと何となく決めていた(拙稿『超急成長都市「深圳」で体験した「中国の現在」と「日本の未来」(上)、(下)』2018年10月30日参照)。
このような事情と、たまたま今回も海外インターンシップ事業を積極的に推進する「タイガーモブ」が、「STARTUP QUEST in Israel」という、イスラエルでスタートアップ・エコシステムの秘訣を学ぶプログラムを本年3月に実施していたので、それを活用しながら、さらに筆者が個人で体験したものも付加して、イスラエルを経験してきた。
本稿は、当該国・地域を様々な形で経験した者の現地ルポとして書いた。誤解や混乱もあると思うが、初見者が、イスラエルの地域や社会を理解する上での何らかの参考になれば幸いである。
結論から申しあげると、イスラエルは、非常に複雑で錯綜した国家・社会だ。現地を訪問して、その現実がわかった面もあり、一方で、現地を知れば知るほど、さらにわからなくなり、混乱したことも多かった。
本稿は、そのような状況のもとに書かれていることを理解した上で読んでいただきたい。
イスラエルのイメージ
訪問前に、筆者がイスラエルに行くというと、返ってきた言葉は、「物騒なところに行くんですね」「テロがあるんじゃないの。危なくない?」「紛争地でしょう?」「砂漠やラクダの国」「複雑な宗教関係の国だよね?」等々であった。それらが、多くの方々のイスラエルという国へのイメージなのだろう。
確かに、筆者が滞在中にも、ガザ地区(注1・本文末尾の注釈を参照。以下同)から数発のロケット弾がイスラエル国内に発射され、その報復等があり、負傷者があったらしい。ただし、この時はある意味例外で、ミサイル攻撃があっても、普段は人家のないところが攻撃され、人的被害はあまり起きることはないと、現地では聞いた。
しかし、イスラエル国内は、テロ対策が厳しく行われ、近年治安は非常に良く、女性が夜道を1人で歩いても安全だという。実際、筆者が滞在中も、昼夜を問わず街中は非常ににぎやかで、危険や不安を感じたことは1度もなかった。
イスラエルは、一般にイメージされているほど物騒な地域や危険な紛争地ではないと言えるのではないかと思う。
イスラエル概観
イスラエルは、レバノン、シリア、ヨルダン、エジプトに囲まれており、他国との緊張関係の中にある国である。最近、インテル、アップル、グーグル、マイクロソフトなどがイスラエルのスタートアップ企業に非常に高い関心を寄せ、M&A、バイアウトなどが盛んに行われたり、開発センターがつくられたりで、同国への国際的注目が急速に高まっているが、同国は、日本の四国程度の広さの領土、約900万人(2019年3月現在)の人口に過ぎない、小国である。
またイスラエルは、その建国の歴史からユダヤ教の国と思われがちだが、ユダヤ人は74.2%を占めるが、アラブ人も20.9%を占めている。
出生率の関係から、ユダヤ人の中でも超正統派(ハレディーム。ユダヤ教の正統派の中でも特に厳格に律法に従う立場をとるユダヤ人。働いておらず、ユダヤ教の神学校「イェシーバー」でユダヤ教の聖典を学んでいる生活。兵役は免除されるが、逆に労働が許されない。つまり、若い成人でも民間セクター、軍隊の経験も機会もない)の人口比が、現在の11%から2050年頃には32%に増えることが予想されている。
他方、世俗派は68%から49%に減少すると考えられており、いわゆる経済的な面での生産性が低いと言われるこの「超正統派」と「アラブ人」のグループの生産性をどう高められるかが、今後のイスラエルの発展や方向性に影響を及ぼすだろうと考えられている。
宗教は、ほぼ人口比に比例していて、イスラエル中央統計局(2014年)によれば、ユダヤ教75%、イスラム教17.5%、キリスト教2%、ドルーズ(注2)1.6%となっている。外国人は16万6000人であるが、イスラエルにおいて「移民」は、その経済成長の原動力と言われている。
本来であれば、イスラエルを理解するためには、ユダヤ人の歴史やイスラエルの建国の歴史等も知る必要があるが、筆者はその分野の専門家ではないので、本稿では割愛させていただくことにする。
主な訪問先と学んだこと
2019年3月17日から25日まで、イスラエルに滞在し、様々な企業や組織、地域などを訪問、見学したが、それらを大きく分類すると、「革新と未来」と「固陋と過去」の2つに分けることができる。
しかも、上記の2分類は、相互に時に密接に時に多面的でかつ複雑に関係しあっていて、それがイスラエルの分かりにくさと、興味深さを生み出していると言える。
だが、ここでは物事をわかりやすくするために、2つの分類から話を進めたい。
【革新と未来】
訪問先
この分類では、次のような組織・団体・企業等を訪問し、スタートアップネーションとして世界中から注目を受けるイスラエルの全体的現状とその理由について学び、それと共に、具体的にスタートアップ企業を訪れて、その実態を知った。
(1)イスラエルの全体状況を学んだ組織・団体など
■「The Center for Israeli Innovation by TAGLIT」(半公営の人材育成センター「TAGLIT」による同国のイノベーションやスタートアップを紹介する施設)
■イスラエル日本親善協会、日本イスラエル商工会議所(イスラエルと日本の経済・文化などの交流促進)
■在イスラエル日本大使館
■テルアビブ大学(イスラエルの主要大学の1つ)
■「Technion – Israel Institute of Technology」(国際トップクラスの大学・研究機関)
■「Pearl Cohen Zedek Latzer Baratz」(弁護士事務所)
(2)訪問したスタートアップ企業例
■「Drive」(スマートモビリティ技術のための主要イノベーションセンター)
■「FaceTrom」(写真の顔面認証による与信システムのスタートアップ企業)
■「Dlrob」(ロボットアームやマシーンラーニングのスタートアップ企業)
■「Regulus」(センサーセキュリティーのスタートアップ企業)
■「Kaymera」(フィンテックのスタートアップ企業)
■「SOMPO Digital Lab Tel Aviv」(Sompoホールディングスの研究開発機関)
■「Jakore」(日本企業のイスラエル進出やイスラエル企業の日本・アジア進出を支援する企業)
学んだこと
イスラエルは、世界一のスタートアップ大国であるということ。それは、次のようないくつかのデータにも表れている。
■国民1人当たりのスタートアップ企業数世界第1位
■GDPにおけるR&D(研究開発)投資割合世界一(4.25%)(Ref. 2位:韓国4.2% 3位:米国2.8% 4位:中国2%)
■企業のR&D支出率世界第3位
■国民1人当たりのVC(ベンチャーキャピタル)投資額世界第1位
■GDP比VCの投資額世界第1位
■科学研究機関の質 世界3位
■PCT(Cooperation Treaty、特許協力条約)の特許・応用数世界第5位
■R&Dにおける大学・産業の連携数世界第3位(注3)
このような結果として、イスラエルは、人口や面積は非常に小規模だが、世界トップのイノベーションを生むスタートアップ大国であり、フェイスブックの顔認識、 グーグルの予測変換、 インテルのコアプロセッサー等の身近な技術のノベーションを生んできている。
そしてイスラエルには、次の図のように、海外の多くの企業が「R&Dセンター」を設けている。
なぜ、必ずしも大国とは言えない、イスラエルが様々なイノベーションを起こし、このようなスタートアップネーションとして成功を遂げているかというと、下図「スタートアップ大国を支えるエコシステム」が示しているようなスキームができているからだという。その中でも、徴兵制を通じた人材の競争性と、兵役を通じて形成される実践的スキル・知見と人間関係がとりわけ非常に重要であるという(以前ほど重要でなくなってきているという意見もあるが)。
イスラエルは、非常に小さい国であり、兵役での濃密な人間関係などで、お互いが知り合いである関係が構築されているという。それらの理由から、イスラエルは、軍歴は非常に重要な経歴となっているという。
上記のエコシステムに加えて、イスラエルでは、建国の歴史や現在の必ずしも友好国でない国々に囲まれていることなどの理由や環境から生じる「SENSE OF URGENCY(危機感)」が社会や人々の間で共有されていて、それもイノベーションやベンチャーの精神を醸成しているという。
また海外からの移民(イスラエル国民になる)も、イスラエル国内における多様性や刺激を生み、国際的ネットワークを構築し、それがさらにイスラエルのイノベーションやスタートアップ気質を高めているそうである。
他方、近年は、ファンド等の総額は増えているが、スタートアップ企業数などは減少してきている(させてきている側面も)。それは、スタートアップ企業は雇用に結びつきにくいので、政府がより規模の大きな企業の数の増加に政策転換をしてきているからだという。
また、イスラエルを構成する人口のうち「アラブ系」「ユダヤ人(超正統派)」のグループは、先にも述べたように、生産性が低く、それらの生産性をどうやって高めていくかが課題である。そして、予備兵制度も含めた兵役など(注4)によって、人材が活用できない時期などの問題もある。
しかしながら、このような制約の中、イスラエルにおける生産性が先述したような成果を生んでいるのは、正に驚異的であるということができる。
さらに、今回の訪問先で何度も聞かされたことがある。それは、「日本人とイスラエル人」の対比である。訪問先により若干の違いはあるが、概ね次の表のような比較が示された。
このような日本・イスラエルの比較が、極論するとあまりに画一的なので、イスラエル人は日本人を本当に知っているのだろうかという違和感ももった。
最近、イスラエルでは日本ブームだそうで、マンガ・アニメ、食べ物などへの関心が高いという。
日本人とイスラエル人、日本とイスラエルの違いがこのように大きく、両極端なので、本当に協働して何かができるのだろうかというふうに思わなくもない。だが、イスラエル人は、スタートアップ、ベンチャー、イノベーションに関心があり、得意であるが、辛抱や長期的企画、大規模な経営などは必ずしも得意ではない。それに対して、日本はスタートアップやベンチャーはあまり得意でないが、組織の大規模化や大量生産化は得意であると言えよう。
その意味で、相互が補完し合えば、相互にとりメリットがある構図なので、面白い可能性が生まれるかもしれない。そのような期待もあり、近年相互の政府のトップレベルの交流等が頻繁に行われ、投資なども急速に増大している。(つづく)
【文中の注釈】
(注1)ガザ地区は、「イスラエル中西岸、地中海に面する東西約46キロ、南北約6~10キロの地区。東京23区の約6割という狭い面積に約200万人が暮らす。住民の大半はイスラム教スンニ派のアラブ(パレスチナ)人である。2005年までは約8000人のユダヤ人入植者が暮らしていたが、イスラエルのシャロン政権が入植計画を撤廃。すべてのユダヤ人をガザ地区外に強制移住させ、その後イスラエル軍も撤退させている。
現在、ガザ地区の行政権はパレスチナにあるが、領空・領海はイスラエルが実効支配しており、水や電気などのライフラインもイスラエルの管理下に置かれている。また、地区外へのパレスチナ人の移動も自由ではない。1990年代から隔離フェンスが設置されており、外部に出るには2カ所の検問所を通らなければならない。この出入りもイスラエルが監視している。また最近は物資の窮乏も深刻で、ガザ地区はまさに「巨大な監獄」と呼ばれる状態に置かれている」(大迫秀樹 フリー編集者/2009年)、出典:朝日新聞出版発行『知恵蔵』
(注2)ドルーズ派は、「シーア派に源を持ち、エジプトのファーティマ朝の第6代カリフのハーキムを神とする秘教的宗派。シリア、レバノン、イスラエルに広がっている。イスラエルでは他のアラブと異なる待遇を受け、兵役に就き、自治、裁判権も認められている」(高橋和夫 放送大学助教授/2007年)、出典:朝日新聞出版発行『知恵蔵』
(注3)これらのデータの出所は、『OECD2015』、『The Global Competitiveness Report2016-2017』(World Economic Forum)、『Sonpo Digital Lab Tel Aviv』提供資料などである。
(注4)イスラエルでは、ユダヤ人の場合、18歳から男性2年8カ月間、女性2年の兵役義務がある。また予備兵制度があり、その後も男性51歳、女性24歳になるまで毎年年間最高39日予備兵として兵役に就かなければならないことになっている。