知ってほしい「医者と製薬マネー」の底深い闇
私は、主に無床診療所と中規模の病院で勤務する内科医だ。延べ人数で年間1万人を超える患者を日常的に診察している。風邪やインフルエンザなどの感染性疾患、高血圧や糖尿病などの生活習慣病をあつかったり、救急搬送の対応やご高齢の方のお看取りに関わったりする機会が多い。
薬は内科医の仕事道具そのものだ。そのため、普段から社会と薬の関係について考え、診療活動から得られた知見を、専門誌に英語論文として発表する活動もよく行っている。
そのような経験を重ねているなかで、今回、一般向け書籍を執筆する機会をいただいた。それが、2019年4月に発売された小学館新書『知ってはいけない薬のカラクリ』だ。
本書のテーマは、医者と製薬会社の薬にまつわる「利益相反」だ。ドラマで人気の「ドクターX」のような名医は登場せず、画期的な新薬開発のドラマを紹介するのでもない。一見地味で難解なテーマ設定と思われることだろう。
しかし、実は本稿をお読みの読者ご自身、さらには日本の医療体制そのものへの大きな実害を起こしかねない重要な問題なのだ。この点で、医療にかかわる様々な問題の中でもより大きな社会的意義を持つテーマの1つだと私は以前から考えてきた。
この問題を、医療とも製薬業界ともかかわりのない方々にもなんとかわかりやすく伝えたい、というのが拙著執筆のそもそもの動機だ。
バラまかれた年間「264億円」
利益相反は、日常的にはあまりなじみがない言葉かもしれない。わかりやすくたとえるなら、「政治とカネ」の問題を思い浮かべていただくとよいだろう。
公共事業を請け負う業者を決める場合、その選定に影響力のある政治家が業者から接待を受けたり、献金を受けたり、あるいは多額の講演料の謝金を受け取っていたりしたら、公平性が疑われかねない。過去にも、田中金脈問題やリクルート事件など、政治とカネをめぐる社会的に大きな事件がたびたび繰り返されてきた。そのため、政治資金規正法が導入・改正され、政治献金の上限の設定、金額や資金の流れを公開することなどが定められ、今日にいたるのはご存じのとおりだ。
その「政治とカネ」と似たような図式が、医者と製薬会社の関係にも存在している。
しかし、政治と違って医療は「聖域」と考えられており、また、専門性も高く部外者が容易に口を挟むことができない。その結果、製薬会社との関係から必然的に生じる「医者とカネ」の問題について、表立って語ることはタブー視されてきた。
処方薬は、患者に向けて直接宣伝することはできない。そのため、製薬会社は患者には見えないところで、医者向けにさかんに薬の宣伝活動を行っている。タダで高級弁当を配ることから始まって、製薬会社がつくった宣伝用の資料文を読み上げるだけで5万円、10万円の講演料謝金をわたし、使い道に何の制限もない何百万円、何千万円ものお小遣いが奨学寄付金という名前で研究室に注ぎ込まれる。
非常勤の公務員として薬の発売や値段を決める政府の審議会委員や、病気の治療方針をしめす診療ガイドラインの作成委員も、当たり前のように多額の製薬マネーを受け取る。
このようにして、製薬会社から医者個人へわたる講師謝金等に費やされるお金は、日本製薬工業協会に加盟する各社総計で、1年間に実に264億円(2016年度)にも及んでいた。
製薬会社と医者は「win-win関係」
大多数の医者は真面目にやっている、と医療関係者のなかからも反論が出てくるかもしれないが、利益供与を受けることで人間が無意識のうちにだとしても影響を受けてしまうことは、否定できない。学力テストの偏差値が高い医者であっても、決してその例外ではない。
実際に、利益相反関係の有無が処方内容や臨床研究の結果に影響を与えるとする医学論文が、いくつも報告されている。
製薬業界は他業種に比べ利益率が高く、数十パーセントにおよぶこともある。その潤沢な利益の一部が医者への宣伝活動に回り、高額な薬が数多く処方され、また製薬会社がもうける。その仕組みを維持するために、宣伝費が上乗せされた高い薬価がつけられるという、医療業界にとっては好循環サイクルが形成されている。
事実、医薬品産業は他業種に比べて宣伝費・営業費用等の比率が倍以上におよび、著しい高コスト構造にあることが指摘されている(2019年4月、財務省主計局分科会資料より)。
このような薬のカラクリについて、医療業界内でも表立っての議論はあまりされてこなかった。業界内のエスタブリッシュメントにとっては、「不都合な真実」となるからだ。一般社会の通念とは異なる、浮き世離れした宣伝活動が業界内で常態化していても、誰も疑問を呈さず口にも出さない。
当然ながら製薬会社も営利企業であり、薬を効果的に宣伝し効率的に売ることで、できる限りの利潤を上げなければならない。資本主義社会の中では正当な企業活動の一環で、製薬会社も医者もwin-winの関係なのだから、それの何が悪いのか、という意見が業界内で大多数を占めていることは、私も十分承知している。
暴走する空恐ろしさ
以前は、私もそのように思う業界人の1人に過ぎなかった。しかし、問題の深刻さを思い知らされる転機があった。
それは、2012年ごろから問題になり始め、社会的にも大きく取り上げられた「高血圧薬ディオバン」の臨床研究不正事件だ。
ほぼ同じ時期に、細胞やネズミをあつかう基礎研究の分野で「STAP細胞事件」も持ち上がり、マスメディアでセンセーショナルに取り上げられたことから、一般の方々の間ではむしろこちらの方を研究不正事件としてより印象深くご記憶の方が多いのではないだろうか。
しかし、患者や社会への実害という点では、臨床現場で実際に用いられる医薬品にかかわる臨床研究不正事件の方が、より深刻な問題なのだ。
当該の高血圧薬では実際以上に有効性が高いと見せかけられ、必要以上に高価な薬が累計で1兆円以上も売り上げられた。紆余曲折はあったものの、最終的には不正が認定され、関係する医学論文が国際専門誌からすべて取り下げられた。
私はこの事件の初期段階から興味を持ち経過を追っていたが、製薬会社と医者がwin-winの関係を構築していても、それが密室で進められ歯止めが効かなくなると、ここまで暴走してしまい社会的被害をもたらすのかと、空恐ろしさすら感じることになった。
この事件を受けて、臨床研究法という新たな法律が2018年から導入された。研究方法のルールを厳格化して、同様の事件の再発を防ぐのがその狙いだ。
しかし、そもそもの不正が起こった本質的な原因は、「医者とカネ」、製薬マネーの問題にある。利潤を上げるためには手段を選ばない、どう猛な資本主義の精神が根本にあるのだ。この本質的な課題についての取り組みは、日本ではいまだ不十分と私は感じていた。
埋もれている「道義的スレスレ事案」
製薬マネー、すなわち医療における利益相反の扱いは、世界共通の課題だ。たとえばアメリカでは、医療制度改革法の「サンシャイン条項」が2010年に定められ、製薬会社などから医者への資金の流れを明らかにする「オープン・ペイメンツ・データ」という公開データベースが利用されるようになり、利益相反への対策の目玉として期待されている。
同様のデータベースが日本でも必要ではないかという議論は持ち上がっていたが、関係する厚生労働省や日本製薬工業協会、日本医学会など大組織の動きは遅かった。
そこで、探査ジャーナリズムNGO「ワセダクロニクル」とNPO法人「医療ガバナンス研究所」と共同で、民間主導の小規模のチームで日本版オープン・ペイメンツ・データを作成するプロジェクトが始まり、これに私も参加することになった。診療業務の他に、同研究所で英語医学論文の発表などにも取り組んでいたご縁だ。
この度の拙著では、この「マネーデータベース『製薬会社と医師』」を軸に、医療にそれほど馴染みのない一般の方でも興味深く読めるよう工夫を凝らし、全体像をわかりやすく理解していただけるよう心がけた。
それだけでなく、読み物として面白くなるよう、薬の基本的な知識や世界史、医師不足やビッグ・データと医療など、多種多様な話題も盛り込んでみた。
医者と製薬会社の利益相反関係は、すべて無くして禁止してしまえばいい、というような単純なものではない。医学、医療を発展させ、病に苦しむ患者のために適切に薬を提供し続けるためには、両者の健全な関係は不可欠だからだ。
しかしながら、製薬会社の豊富な宣伝費用の出所の多くは、国民皆保険制度を持つ日本では保険料や税金である。いわば、医者は薬を介して公的なお金の使い道について決めているわけだ。公共事業にかかわる政治家の立場と何ら変わらない。医療は聖域だからと野放しのままでは、今後も高血圧薬の臨床研究不正事件のように暴走する危険性は否定できない。また、ルール違反として問題になるのは氷山の一角に過ぎず、そのウラには大多数の道義的にスレスレの事案が多数埋もれていることも指摘しておきたい。
閉じられた医療業界の内輪だけでなく、1人でも多くの一般の方々にこの問題について知っていただくことが拙著の目的だ。
利益相反について、広く社会の中で受け入れられる節度ある着地点を見いだすきっかけとして、本書が少しでもお役に立てば著者として本望である。