上皇・上皇后さま「おもてなしの宿」秘話 国民を前にした優しさ、その逸話の数々

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「大地震に遭うのは初めて」

 実は、お二人が1度目に訪問された平成16年10月23日は、新潟県中越地震が発生していた。発生時刻の17時56分、熊谷にあるホテルも大きく揺れたが、ちょうど18時から、500人規模の参加者を集めた国体のレセプションパーティーが開かれるところだった。

 はたして両陛下はどんなご様子だったのか。

 亜通子夫人に訊(き)くと、

「上皇さまと美智子さまは12階の部屋におられまして、私は会場までご案内するため廊下に待機していました。美智子さまから『ずいぶん大きく揺れましたね。ホテルに被害はありませんでしたか』と配慮のお言葉を頂きました。上皇さまは何も仰らなかったのですが、美智子さまは重ねて『エレベーターが止まったら、どうなるんですか』とお尋ねになりましたので、私が『エレベーターのメンテナンス会社の方にも待機して頂いておりますので、ご安心ください』とご説明したところ、『あぁ、そうですか』と、安堵されていました」

 そうまで心配された理由は意外なところにあった。

「美智子さまは『皇居以外で、大きな地震に遭うのは初めてなんです』と仰っていました」(杉田社長)

 普段は穏やかで気品漂う美智子さまも、天変地異に遭遇すればご不安なのは無理もない。それでもまずは周囲を気遣われる。そんなお姿が印象に残ったという。

 平成29年、2度目のご訪問の際は、渡来人ゆかりの高麗(こま)神社(日高市)を訪れられ、咲き誇る曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の巾着田(きんちゃくだ)をご覧になってからのご宿泊だった。その際、対応したのは亜通子夫人と娘の馬場実穂さんの2人。当時のことを、とても嬉しそうに実穂さんが話してくれた。

「私が1児の母であるとお伝えしますと、夕食時に美智子さまから、『お子さんはどうなさっているの?』『お名前はなんと仰るの?』とお声がけ頂きました。『娘はいちかと申します。今日は2歳の誕生日ですので大変光栄です』と、申し上げました。すると美智子さまは『そんな大切な日に、こんな遅くまでいて……』と仰り、お見送りの際には、『いちかちゃん、お健やかにお過ごしくださいね』とお声をかけて頂きました」

 どこまでも細やかなお気遣いは、美智子さまならではの母性の発露だったろう。

 過密なスケジュールの行幸啓で、ほっと一息つけるのがご滞在先の宿。その主や女将たちのもてなしに、上皇陛下と美智子さまはどこまでも真摯にお応えになり、ふれあいを楽しまれた。数多(あまた)の交流が、お二人にとって時代を跨(また)いでもなお、忘れがたいご記憶として残っているだろう。

 ご公務をお譲りになり自由な時間が増える上皇・上皇后両陛下が、“これら思い出深い宿を再訪したい”、そんなお気持ちを抱かれてもおかしくない。令和の時代、お二人にはどんな旅が待っているだろうか。

山崎まゆみ(やまざき・まゆみ)
温泉エッセイスト。新潟県生まれ。観光庁「VISIT JAPAN大使」。跡見学園女子大兼任講師として「温泉と保養」をテーマに講義。著書に『だから混浴はやめられない』など多数。最新刊『さあ、バリアフリー温泉旅行に出かけよう!』。

週刊新潮 2019年5月16日号掲載

特別読物「『上皇・上皇后』再訪されたい『おもてなしの宿』」――山崎まゆみ(温泉エッセイスト)より

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