草刈正雄が語る「脇役ばかりの不遇時代」と「スランプを救った大女優の一言」

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若尾文子に励まされ

 たまたまドラマで共演した女優の若尾文子さんに、

「あんたはタッパもあるし、舞台をおやりなさいよ」

 と励まされたことも大きかったんです。若尾さんが推薦してくれたのが、84年の舞台「ドラキュラその愛」で、日生劇場で役者として初舞台を踏むことができた。

 正直に言えば、たまたまセリフも少なかったのでなんとかこなせたんですがね。テレビと違って、舞台はセリフも膨大で3時間ぶっ通しでNGも出せない。それこそ芝居経験も乏しい私にできるのかと思っていたんですが、この初舞台がきっかけで新しい仕事が貰えるようになった。必死にセリフを覚え舞台を踏み続けました。とにかく舞台はお客さんとの距離が近い。人前でパフォーマンスを観て貰い拍手を受ける。そんな経験は初めてで、なんとも言えぬ達成感があり、次の舞台、また次の舞台とやる意欲が湧く。それで結果的には演じることへのコンプレックスが消えたんですね。

 やっぱり、芝居って脚本が一番だと思う。だから面白い脚本に出会うと、コレをいいものにしなくては、と皆が一丸となるんです。そういう熱のある現場は本当にいい。まさに「真田丸」や「なつぞら」がそうなんですが、60を過ぎても人生の晩年でこういう気持ちになることがあるんだなと、そんな自分に改めて驚いています。そう思えるほどの良い役を貰えるようになったきっかけは、5年前、三谷幸喜さんの「君となら」という舞台にキャスティングされたことに遡(さかのぼ)ります。

 出演後、いきなり三谷さんが僕の楽屋に来まして、

「草刈さん、来年は大河をやるんですけど、真田昌幸役をやってくれませんか」

 と仰ったんです。大河といえば、85年の「真田太平記」で私は昌幸の次男・幸村役を演じ、当の昌幸役は丹波哲郎さんだった。傍らにいてとても魅力的な役だなと思っていたので、今度は自分があの役をやれるのかと嬉しくなりました。

「真田丸」はとにかく脚本が面白く、大げさに聞こえるかもしれないですが、運命といっても過言ではないほどの出会い。そう思っています。武将然としていない、実に人間臭い思惑に満ちた昌幸像が、僕とピッタリだった。とにかく昔から、「二枚目」というイメージを崩したいと、もがき苦しみ続けてきた思いが、今ようやくピタッとハマッた気がしたんです。

 はっきりとは聞いていませんが、きっと今回の「なつぞら」も、大河の評価が繋がった結果だと思っています。やっぱり長い間、同じことを続けていると、こういうプレゼントを貰えるのかなと。本当に長く続けてきてよかった。これからも、神様からの贈り物のような役を大事にして、俳優として頑張っていきます。

週刊新潮 2019年5月30日号掲載

独占手記「『なつぞら』おんじに『シニア世代』が生き抜くヒント! 60代半ばで再脚光! 『三つの試練』がもたらした『草刈正雄』復活の日」より

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