草刈正雄が語る「脇役ばかりの不遇時代」と「スランプを救った大女優の一言」

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脇役の仕事ばかり

 77年放送のドラマ「華麗なる刑事」で、ロス帰りの刑事を演じた時のことです。まさに「華麗なる」役柄を頂いた僕の共演者は、田中邦衛さん。九州男児の泥臭い刑事という設定で、だからこそ2人の掛け合いが面白いのに、私は邦衛さんのお芝居に感化されてしまい……。段々と泥臭い役柄にブレていき、結局ちっとも華麗なる刑事じゃなくなっちゃった。現場のプロデューサーさんも泣いていたと思います。

 なんせ、当時の僕は感覚でお芝居をやっていたところがありましてね。17歳の時に突然上京して役者としての基礎もない。劇団に所属もしておらず経験もない。モデルのぽっと出だというコンプレックスがあって自信がまったくなかった。

 芝居をずっとやってきた人は、声もよく出るし動きもシャープでした。基礎を知らないとこの先長くは続かない。そう思って僕もいろんな努力はしたのですが、勉強はキライだし(笑)。今さら劇団にも入れないと、悶々とする日々だった。

 そんな壁にぶち当たっていたのは30代半ばの頃。やはり映画やテレビの仕事がだんだんと減っていきました。昔のように主役を張ることができず脇役の仕事ばかり。それでも僕はラッキーな方で、名前だけは通っていたので役は小さくても仕事は頂けていました。とはいえ、これまでは重要なシーンで自分にズームアップしていたカメラが、スーッと横を通り過ぎて主演俳優の方へと近づいてゆく。それを目の当たりにして、さすがに寂しい思いをすることは多々ありましたね。

 もう俳優の仕事は辞めよう。そんな弱気が頭をよぎることもありましたが、逃げることはしなかった。それはそれとして、「僕にはお芝居しかない」と思っていたんですね。だからどんなに上手くいかなくてもしがみついてこれた。どうせ辞めても、学歴もないし他にやれることはない。妻と結婚した時期でしたから、経済的にもどんなに役が小さくなろうと、この道を続けると心に決めていました。

 ちなみに、結婚は36歳の時でしたが、彼女は私の芝居には一切興味がないそうで、出演作を見ることはありません。けれど仕事や私生活での悩みには常に寄り添ってくれ、傍(かたわ)らで支えてくれている。そう、役者としての数々の試練を乗り越えられたのも、こうした人々のおかげでした。

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