上皇・上皇后さま「おもてなしの宿」秘話 被災地の「美智子さま」ガッツポーズに涙
「上皇・上皇后」再訪されたい「おもてなしの宿」――山崎まゆみ(1/2)
上皇・上皇后となられたお二人は、偉大なる旅人でもある。全国津々浦々の旅館、ホテルに足跡が残るが、おもてなしの実態は御簾の向こうに隠れたまま。各地の宿に詳しい温泉エッセイストの山崎まゆみさんが、令和の今だからこそ明かされる、行幸啓の秘話を聞いた。
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「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」
上皇陛下が譲位のご意向を示された際のお言葉通り、平成の御世に限っても、陛下は上皇后となられた美智子さまと共に47都道府県を2巡され、北海道は利尻島から日本最西端の与那国島(よなぐにじま)まで、55もの離島をお訪ねになった。その移動距離は地球15周分と伝えられる。
国民と共にあることを大事にされてきた“平成流”の行幸啓。その目的のひとつが、自然災害に遭った被災地の慰問だ。避難所の床に膝をつき、民の声に耳を傾けるお姿は、多くの人の記憶に残っているだろう。
東日本大震災から3年が経った平成26年7月22日、上皇と上皇后のお二人は、津波で甚大な被害を受けた宮城へと赴かれた。被災地に迷惑はかけられないと、それまで日帰り訪問を心がけてこられたが、この時は珍しく宿へ足を運ばれた。
「上皇さまにはマグロのお造りを、美智子さまには南三陸キラキラうに丼をお召し上がり頂き、ご満足頂けたようでした」
とは、太平洋を一望できる「南三陸ホテル観洋(かんよう)」の女将・阿部憲子さんである。
「警備の方が『予想を遥かに超える人がいた』と仰っていましてね。人口が減っている南三陸で、それは凄い光景でした」
沿道は、お二人の姿を一目見たい一心で人だかりとなった。
その時の被災者たちの心境を、憲子女将はこう語ってくれた。
「大震災で2万人も犠牲となり、家も土台しか残らなかったんです。大切なものを全てなくして、辛うじて生きている。涙を流すことさえ忘れた人もいました。3年が経ち、少しでも希望を持てるかなと思っていましたが、失った人が帰ってくるわけでもない。現実はそんなに甘くはない。そう思い知らされた時期のご訪問でしたからね。気持ちが萎えていた住民たちに、お二人がね、手を振って、優しい笑みを見せてくださったの。被災地にとって、何よりも力になりましたよ」
お二人の人柄のあたたかさ、優しさでどれ程多くの国民が勇気づけられたか。そして迎える側は、どんな「おもてなし」で旅の疲れを労(ねぎら)って差し上げたのか。本稿では、それを「宿」という舞台で綴っていきたい。
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