【天皇陛下と米大統領】34年前の米国訪問で読み解く「皇室外交の重要性」

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 トランプ米大統領が5月25日に来日する。新天皇・皇后両陛下との会見や宮中晩餐会も予定されており、天皇陛下にとって、トランプ大統領との会見が、本格的な皇室外交のスタートとなる。

 徳仁新天皇がアメリカ大統領と会見するのは、実は初めてのことではない。さかのぼること1985年10月11日、当時25歳の浩宮徳仁親王は、オックスフォード大学の留学生として2年間の英国生活を終え、初めての米国横断旅行に臨んでいた。

 ロンドン・ヒースロー空港からわずか3時間。マッハ2.0のコンコルドの旅を経て、到着したのはワシントンのダレス国際空港。ここからはじまる2週間の米国旅行の最初のスケジュールが、滞在中最大のイベント「レーガン大統領表敬訪問」だったのだ。

 元日本テレビの根岸豊明氏(現・札幌テレビ社長)は、昭和60年から昭和天皇崩御の昭和64年1月まで、宮内記者会に在籍する皇室担当記者だった。彼はその著書『新天皇 若き日の肖像』(新潮文庫刊)で、初の外遊に臨む徳仁親王の姿を取材記者チームのひとりとして間近で追った経験を、詳細に描いている。

 米国訪問時、ロナルド・レーガン大統領は74歳。孫ほどに年の離れた25歳の徳仁親王を、和やかにホワイトハウスに迎え入れた。大統領の鼻の頭には、一時はガンが疑われたおできがあった。それを隠すため貼られた絆創膏が、かえってユーモラスで微笑を誘う。この間わずか5分、お互い立ったままでの会話だった。

 この会見は、「皇室を政治的に利用しない」という日本国憲法の考え方を了承したかたちで準備されたが、このとき、ちょっとしたハプニングが起こる。レーガンは、当時の明仁皇太子ご夫妻へのアメリカ訪問をうながすメッセージを、巧みに会話にさし挟み「いずれかの時期に、皇太子殿下、妃殿下がアメリカにいらっしゃることを心待ちにしています」と述べたのである。

 この一連の流れを、著者の根岸氏はこう読む。

〈しかし、この発言は結果的にはアメリカ側の非公式な皇太子訪米招聘となったと思う。2年後の1987年秋に皇太子夫妻は2度目のアメリカ訪問を行った。レーガン大統領の発言はその先駆けとなるものだった。思いつきの外交辞令ではなく、やはり政治的な意図が含まれていた、といえる。海外要人と会って意見交換や会話を進めれば、「皇室外交」であっても「政治的中立性」にとっては、きわどい局面もあるのだ〉

 20代後半の徳仁親王は、その後も、南西アジア歴訪ではネパールやブータンの国王との拝謁や、インド大統領との会談など、各国元首クラスとの皇室外交を重ねられた。国内でも、来日したチャールズ皇太子夫妻のアテンドや、結果的に腸の腫瘍手術のため実現されなかった昭和天皇の訪沖にさきがけて、夏の沖縄国体へ出席されるなど、青年皇族として未来の天皇としての公務を積み重ねてこられた。

 令和改元を迎え、新天皇の皇室外交を奇しくも、青年皇族のときと同じアメリカ大統領を相手に始めることになった徳仁天皇。トランプ大統領の来日は三十余年の皇室外交の経験が花開く、晴れやかな舞台となることだろう。

デイリー新潮編集部

2019年5月24日掲載

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