「全米プロ」連覇「ケプカ」が軽々語る驚異の「メンタル力」 風の向こう側(47)
「全米プロゴルフ選手権」(5月16~19日)を連覇し、メジャー4勝目を挙げたブルックス・ケプカ(29)の勝ちっぷりは、戦いの舞台となった「ベスページ・ステートパーク・ブラックコース」(米ニューヨーク州)のコースレコード「63」を含め、数々の大会記録を塗り替えた歴史的な勝ち方だった。
2017年「全米オープン」でメジャー初優勝を遂げたケプカは2018年大会でも連覇を果たし、そして今年は全米プロを制して、またしても連覇。
メジャー出場8試合で4勝を挙げたケプカの高い勝率は、1999年全米プロから2002年全米オープンまでのメジャー11試合で7勝を挙げたタイガー・ウッズ(43)の63.6%にこそ届いていないが、50%という数字が他選手たちを圧倒していることは間違いない。
とどまるところを知らないケプカの勢いを感じ取り、「ケプカのウッズ超え」を論じ始めた米メディアも少なくない。全米プロの優勝会見では、こんな質問が飛び出した。
「2015年に初優勝を挙げたとき、その後に次々にメジャー4勝を挙げる日々が来ることをあなたは考えていましたか?」
ケプカは何と答えるのか、興味津々で彼の返答に耳を傾けた。
「そういう日々が来たらいいなと思ったことはあるけど、そんな日々は僕には訪れないだろうと思っていた」
当たり障りのない平凡な答えだった。だが、次なる言葉が愉快だった。
「まあ、当時の僕は、今ほどグッドプレーヤーではなかったからね」
それは、言い換えれば「今の僕は、とてもグッドプレーヤーだ」ということ。強い自負と自信をみなぎらせている現在のケプカは、もはや4年前のケプカとは別人のごとく、大きく成長し、他選手たちを圧倒する強さを誇り、メジャー4勝を挙げて世界ナンバー1になっているということ。
そんなケプカの強さの秘密は、一体、何なのかと、あらためて考えた。
鳴り響いた奇妙な「DJコール」
全米プロ最終日、最終組でケプカとともに回ったのは、米国人選手のハロルド・バーナー(28)だった。
バーナーは米ツアーにおけるウッズ以外の唯一の黒人選手。日ごろからウッズに可愛がられているが、まだ勝利はなく、メジャー大会での優勝争いに加わったのも今回が初めてだった。そのせいか、バーナー自身は大きく崩れて蚊帳の外へと後退し、36位タイで終了。悔しい終わり方になった最終ラウンドだったが、バーナーは自身のゴルフではなく、ベスページの大観衆の応援の仕方を怒りを込めながら振り返った。
最終ラウンド後半、優勝争いはケプカとダスティン・ジョンソン(34)に絞られていったが、リードを保っていたのは終始、ケプカだった。ケプカは最終組、ジョンソンはその1つ前の組。勝利を競い合う2人は同組ではなかった。
それなのに、ケプカが4連続ボギーを喫してジョンソンとの差が1打まで縮まっていった11番から14番では、ケプカとバーナーの周囲で、ジョンソンを応援する「DJコール」が鳴り止まなかった。そのことにバーナーは憤慨していた。
「ニューヨークのファンは奇妙だった。僕らとDJは同組でもないのに、僕らの周りで『DJ! DJ!』と叫び続けていた」
ケプカのバッグを担ぐ相棒キャディのリッキー・エリオットは、プロキャディとしては百戦錬磨。メジャーの最終日の優勝争いでときどき起こる不思議な現象や狂騒曲をあれこれ見聞きしてきたはずだ。だが、そんなエリオットでさえも、ケプカのすぐそばで上がり続けた「DJ! DJ!」の連呼には「さすがにナーバスになった」と明かしていた。
野次を逆手に
しかしケプカだけは、怒ったり、ナーバスになるどころか、「しめしめと思った」というのだから、彼のメンタリティの強さは空恐ろしい。
「あのとき、なるほどと思ったよ。だって優勝に王手をかけていた僕が4つも続けざまに落として、崩れて負けるかもしれないという状況に直面していたんだ。ニューヨークのスポーツイベントとなれば、それが何を意味するかは自ずとわかる。あのとき僕は大観衆の敵に据えられてしかるべきだったんだ」
ケプカのこの言葉、少々、わかりにくいと思うので、解説を加えよう。
世の中には「他人の不幸は蜜の味」なんてフレーズがあるが、「他人」が有名人や著名人、一流アスリートといった大物になればなるほど、人々の興味関心の対象になることは世の常である。
シニカルなニューヨークのスポーツファンの応援の仕方、野次の飛ばし方には、そんな「世の常」が極端な形になって反映されることが多い。
メジャー4勝目に王手をかけていたケプカが4連続ボギーで崩れて負けるとしたら、あまりにも強すぎるヒーローがまさかの敗北を喫するとしたら、それはニューヨーカーたちが大喜びで「それみろ」と野次る格好の材料。
逆に言えば、ケプカがビッグで強い一流アスリートであることをニューヨーカーたちが認めているからこそ起こる現象ということ。
「DJコール」に包まれながら、ケプカはそう考え、野次を逆手に取って利用することを思いついた。
「パーフェクトなタイミングだった。あれで僕は集中力を取り戻すことができた」
自分は強すぎるヒーローなのだと自認し、それほどの自信を抱いているところが、今のケプカの最大の武器。なるほど、2015年に初優勝を挙げたころの「当時の僕」とは大違いである。
「2位なんてものになるのは、本当に嫌だ」
そう言えば、今回の会見で2015年の初優勝のころのことを問われたとき、ケプカは米メディアに、こう聞き返していた。
「それって、『フェニックス・オープン』のことだよね? 僕が初優勝したフェニックス・オープンが2015年だったってことだよね」
その通り、ケプカの初優勝は、2015年の「ウェイスト・マネジメント・フェニックス・オープン」で挙げた見事な勝利。そして、ケプカが優勝を競り合った相手は、松山英樹(27)だった。
最終日、折り返し後の67ホール目を終えたとき、勝利はほぼ松山の掌中にあった。だが、14番、15番で躓き、後退し、停滞した松山を尻目に、ケプカはイーグルを奪って一気に首位へ浮上。その2ホールが勝敗の分岐点になり、わずか1打差でケプカが勝利した。
僅差で敗れた松山は、悔しそうにこう言った。
「自分が出したい感覚を最終日のプレーで出したいし、実際の感覚ともっと近づけられればと思うけど、そのために何をやったらいいのか、まだわからない」
一方、初優勝を挙げたケプカは自信満々にこう言った。
「ここぞという場面で、これぞというハイクオリティなショットが、ほんの数打、打てさえすれば、それが分岐点になる」
あれから4年。メジャー4勝を挙げるまでに成長したケプカは、初優勝を挙げた大会の西暦を忘れかけ、記者たちに問い返していたのだが、そんな彼が決して忘れていないのは、こんな数字だった。
「僕は2位には9回もなった。2位なんてものになるのは、本当に嫌だ」
大嫌いな2位に9回なった屈辱感と引き換えに、ケプカはメジャー4勝を挙げ、世界一に返り咲いている。
なるほど。ケプカは初優勝した「当時の僕」とは、もはや別人。彼の成長には目を見張るものがある。
聖火を受け取る時期
ケプカの次なるメジャー挑戦は、米カリフォルニア州の名門「ペブルビーチ」で開催される全米オープン(6月13日~16日)。優勝すれば大会3連覇が達成され、ケプカのメジャー勝利数は「5勝」になる。
その翌月は「全英オープン」。今年は北アイルランドの名門「ロイヤル・ポートラッシュ」で1951年以来68年ぶりに開催されるため、内外から大きな注目が集まっている。
プロ転向後、いきなり欧州ツアー挑戦を始め、欧州各国や南アフリカ、東南アジアにも足を伸ばし、世界各国で腕を磨いてきたケプカだが、「北アイルランドだけは行ったことがない」。そして、ケプカは全英タイトルを手に入れたことも、まだない。
だが、相棒キャディのエリオットは、ロイヤル・ポートラッシュから「2分ぐらいのところで育ったんだ」。相棒が持つ土地勘とコースの知識が、ケプカのメジャー勝利数をさらに増やす助けになる可能性は高い。
米メディアはゴルフ界の今後を「聖火リレー」にたとえて、「そろそろウッズから聖火を受け取る時期かい?」などとケプカに尋ねた。
「いやいや、あと11、いや12は必要だよ」
ケプカのメジャー勝利数が「15」になればウッズに並び、「16」になればウッズを超える。そんな数字をカウントし始め、堂々と口にする選手が、とうとう現れた。
そして、そのカウントにきわめて高い現実性が感じられることに、驚きと喜びを感じずにはいられない。