「パリ人肉事件」佐川一政のいま、ドキュメンタリー映画に出演の実弟が初告白

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 7月12日よりヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国で順次公開される「カニバ/パリ人肉事件38年目の真実」(監督・撮影・編集・製作:ヴェレナ・パラヴェル、ルーシァン・キャステーヌ=テイラー)は、あの佐川一政氏(70)が主役のドキュメンタリー映画だ。ヴェネチア国際映画祭ではオリゾンティ部門審査員特別賞を受賞したが、その「プレミア上映では半数の聴衆が途中退席した」(The Globe and Mail紙)という問題作である。

 1981年6月、パリ第3大学(いわゆるソルボンヌ大学のひとつ)の博士課程に在籍していた佐川一政(当時31歳)は、友人のオランダ人女性留学生(当時25歳)を自宅に呼び出し、背後からカービン銃で射殺。死体をブローニュの森の池に捨てようとしたところ目撃され、逮捕された。取り調べで、佐川は遺体の一部を食べていたことが判明するや、世界中で「パリ人肉事件」として報じられた。が、2年後、彼は心神喪失で不起訴となり、日本に送還。その後、精神病院に1年ほど入っただけでシャバに放たれた。フランスで入院していた際の話を唐十郎が書いた「佐川君からの手紙」は芥川賞を受賞。帰国後は、自ら事件を小説にし、漫画も執筆、ワイドショーでは猟奇事件のコメンテーターとしてもてはやされ、雑誌への連載、講演なども引き受けた。さらにAVにも出演。そして古稀にして映画の主役になったのだ。

 映画では、佐川君の実弟・純氏も出演している。事件からおよそ40年、これまで表に出ることになかった純氏が、なぜ映画に出ることになったのか、兄弟の関係は今どうなっているのか、あの事件は何だったのか……を赤裸々に語った。

 ***

佐川純氏(以下、純):映画、見ていただきましたか。最初はどうなるか心配でしたが、良い映画になりました。良い悪い、様々な意見はあると思いますが、ぼくは全体的なまとめ方が上手いなと思いました。

――現在、69歳の佐川純氏である。スクリーンには終始と言っていいほど、佐川兄弟のアップが映し出される。そこには、兄の一政をかいがいしく介護する様子もある。実の兄弟とはいえ、事件当時は家族も犯人同然の扱いを受け、迷惑をかけられた。現在、2人の関係はどうなっているのか。

:兄の看病をするようになったのは5年ほど前、脳梗塞で倒れてからです。それまでは頻繁に連絡を取るような関係ではありませんでした。元々あった糖尿病に加えて、脳梗塞で左足が不自由になった。映画が撮影されたのはその時期です。昨年6月には弁当を喉に詰まらせて救急搬送され、誤嚥性肺炎を起こしたために胃瘻になった。自分ではもう食べられないわけです。まあ、何だかんだ言っても、お互いに唯一の肉親ですから。

――純氏はこれまで結婚したことがないという。

:そりゃそうでしょう。女性と交際しても、やはり兄の話が出てきてしまいます。何回か同じようなことが起こると、「まあいいや」となって、その後はお付き合いすることもやめました。ともかく、映画では我々の幼い頃の8ミリフィルムまで効果的に使ってもらえ、良かったと思いますよ。

――幼い頃の8ミリフィルムとは、2人が子供の頃に父が撮影した映像だ。父は伊藤忠商事に務め、のちに子会社の社長を務めた。戦後まだ間もない頃に、8ミリがあったというのはかなり裕福な家庭だったということだろう。

:8ミリがあったのはたまたま。恵まれてる家というわけではなかったと思います。父が撮影好きで、8ミリの前は16ミリで撮ってました。凝り性なんです。16ミリのフィルムが出回らなくなってきたので、8ミリに変えたんです。

――8ミリには、双子のように寄り添う兄弟の姿があった。

:年子ですから、兄とは1つしか違いません。8ミリでは弟のぼくのほうが体が大きいくらいで、本当に双子のように育てられたんですよ。父も母も、なるべく2人に対して差別なく育てようという方針だったようです。兄は生まれた時に医者から「1年は持たない」と言われたほどの虚弱体質で、体も小さいんです。戦後間もない頃で栄養状態が悪かったこともあったのでしょう。また、戦時中、両親は満州にいて、父はソ連の捕虜となりシベリアに抑留されたそうです。体格の良かった父ですが、そのためヒョロヒョロになって帰国。その後にできた子が兄でした。

――佐川家では、パリの事件をどのように知ったのだろうか。

:事件当時、ぼくはすでに広告会社に就職し、(東京・文京区)音羽にあった実家を出ていたのですが、たまたま実家で両親と晩飯を食べていたんです。その時に神戸に住んでいた祖母から電話をもらって「なんか今、ニュースでやってるよ。佐川一政という男がやらかした」と言うんですよね。母は「これは嘘やね」と言い続けていました。父は母を慰める意味でも「本当のことではないかもね」と言っていました。ぼくだけが「絶対本当だよ」と言っていたのは覚えています。

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