「富嶽百景」と令和をかけて(古市憲寿)

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 太宰治に「富嶽百景」という小説がある。教科書的な解釈では、富士山を通して太宰の荒んだ心境の回復が描かれた作品だ。物語の冒頭で、太宰は「富士」のことを「のろくさと拡が」る「心細い山」と書いている。要はあまり評価していないのだ。

 そんな太宰が井伏鱒二と一緒に三ツ峠に登ることになった。本来峠の頂上では富士山がきれいに見えるはず。しかしその日は濃い霧がかかっていた。仕方なく、彼らは一軒の茶屋に入った。

 その茶店を経営する老婆は2人を気の毒がり、店の奥から富士山が写った大きな写真を持って来る。そしてその写真を両手で高く掲示して、「ちょうどこの辺に、このとおりに、こんなに大きく、こんなにはっきり、このとおりに見えます」と懸命に2人にプレゼンをしてくれたのだ。

 その様子を見て、太宰はこう記すのである。「私たちは、番茶をすすりながら、その富士を眺めて、笑った。いい富士を見た」と。

 さて、「富嶽百景」の冒頭を紹介したのには理由がある。ここで話は、令和が始まった日に遡る。僕は友人と「平成最後の日没」と「令和の初日の出」を見ようと企画していた。

 スケジュールは完璧だった。まず平成最後の日には、正装をした上でプロの写真家に記念撮影をお願いする。その後、皇居の見えるレストランで平成の日の入りを眺めながらディナー。マイクロバスをチャーターし、カウントダウンパーティーの後、東京の主要地区で人々の盛り上がりを観察、その後、「日本一早い初日の出スポット」として有名な千葉の犬吠埼で、令和の夜明けを目撃する。

 しかし東京は4月30日から5月1日にかけて雨だった。日没の時間には、本来なら太陽が沈むはずの場所は厚い雲で覆われ、カウントダウンの瞬間も大雨。みんなで濡れながら乾杯をする。

 クライマックスは都心から2時間半かけて辿り着いた犬吠埼だ。海は大時化で、太陽は片鱗さえも見えない。雨と風は強く、5月とは思えない寒さである。

 そこで取り出したのが「犬吠埼の日の出」写真だ。あらかじめネットのフリー素材を印刷し、額縁に入れておいたのである。本当ならこの場所から太陽が昇るはず。その様子に思いを馳せながら、友人たちと大荒れの太平洋を眺めていた。

 海沿いは霧が濃く、ある友人は「イグアスの滝みたい」と表現していた。それが本当なら、アルゼンチンとブラジルにまたがる世界最大の滝のような光景を、千葉で堪能できたことになる。

 無邪気に改元に浮かれることには批判の声もある。元号が代わるくらいで本当に新時代が来るわけではない。国民主権の民主主義国家において、天皇の代替わりでこれほど騒ぐ必要があるのかという意見もある。

 もちろん、お祭りは怖い。しばしば熱狂は本質を見誤らせる。だけど「怖い」と言って、ただそれをシニカルに眺めるだけの人生はつまらない。国家や天皇制のあり方という難しい話は抜きにして、僕にとってはいい令和の始まりだった。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2019年5月23日号掲載

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