政治リスク・コンサルタントに聞く「ムハンマド皇太子」という「中東リスク」

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 外務省の海外在留邦人数調査統計(平成30年度)によれば、中東10カ国に進出している日本企業(拠点数)は900弱。石油関連からメーカー、建設、情報通信まで、多岐にわたる業種が新興市場を開拓している。世界のマーケットのみならず外交安全保障にも大きな影響を及ぼすこの「一大ファクター」への関心は、日本でも高まる一方だ。

 とりわけ目が離せないのが、サウジアラビア(以下サウジ)のムハンマド・ビン・サルマーン(MBS)皇太子の動向だろう。

 2017年6月の皇太子就任以降、石油依存体質からの脱却、国営石油会社「サウジアラムコ」のIPO(新規株式公開)、女性の社会進出、「サウジビジョン2030」といった改革案を次々に打ち出したものの、実務能力を問う声は大きい。昨年10月には彼が指示したとされるサウジのジャーナリスト「ジャマール・ハーショクジー(日本語ではカショギとも)記者殺害事件」が発覚し、一時は王位継承を不安視する指摘も出た。MBS皇太子は目下、サウジ最大の「リスク」と言える。

 そこで、日本企業向け中東専門リスク・コンサルティング会社「HSWジャパン」を最近立ち上げたクリスピン・ホーズ氏、ハニ・サブラ氏、渡邊裕子氏に話を聞いた。

 3氏は地政学的リスク分析の先駆者として知られる米コンサルティング会社「ユーラシア・グループ」を経て、昨年12月に同社を設立。現在はニューヨークとロンドンを拠点に日本と行き来しながら、ホーズ氏とサブラ氏が分析・コンサルタントを、渡邊氏が営業を担当している。

――「HSWジャパン」を設立したきっかけは?

ハニ・サブラ 私たちは3人ともユーラシア・グループに所属していました。クリスピンと私は中東北アフリカ担当のディレクターで、彼は私の先輩に当たります。日本には中東に関心の強い多くの顧客がいたので、この10年あまり、私も毎年2回は来日していました。

 その経験から、とりわけ日本企業には中東への関心が高い方々が非常に多いと感じていました。資源エネルギー関連企業はもちろんのこと、金融、インフラ、自動車など幅広い分野の方々が中東をウォッチされています。アメリカの顧客の場合は、もれなく中南米への関心が強いのですが、それと同じくらい日本のみなさんは中東のことを常に気にしている。日本のエネルギー事情の性質上、そうなるのでしょう。そして、中東情勢は、アメリカのトランプ大統領という存在の影響もあって、非常に不確定要素が多く、従来にも増して予測が難しくなっている。日本語での報道も限られている。それで今回、日本向けに特化したコンサルティング会社を設立することにしたのです。

渡邊裕子 クリスピンはロンドンで、ハニはニューヨークで自身のコンサルティング会社を経営していますが、日本顧客向けビジネスの部門だけ協力してやりましょうということになり、私が営業担当として加わりました。過去の仕事を通して知り合った方や、中東でビジネスを展開している企業を訪ね、新たに日本の顧客を開拓しているところです。

 ハニが得意とするのは、出身国であるエジプト、湾岸諸国、レバノン、そして中東北アフリカ地域全般の地政学で、頻繁に地域に足を運んでいます。クリスピンはサウジ、イラン、イラク、エジプト、リビア、イスラエルの情勢に明るく、産業では石油、ガスをはじめ資源エネルギーが強いです。二人とも、欧米オイルメジャーや日本のエネルギー会社との仕事経験が豊富ですが、加えて、ヘッジファンドや投資銀行をはじめとする欧米の金融機関との仕事を多く手がけています。そういったグローバルな投資家のリスク感覚を踏まえ、また日本のお客様の懸念事項を熟知した上で、実務上の意思決定に役立つ具体的なアドバイスが行えるところが強みかと思います。

クリスピン・ホーズ 日本と欧米の顧客に違いを感じたことはありませんが、敢えて言えば、日本の石油ガス業界の人たちはすごく長い間、その国で仕事をしていらっしゃるので、運営やマネジメントに関わる知識はとても豊富です。ただ、その国の政治や環境といった大きな問題、さらに地政学や外交に対する興味や理解は、アメリカの同じ業界の人たちに比べると、弱いかもしれません。

 テキサスでオイルメジャーの人たちに会うと、オペレーションのことよりも政治や経済全体の情勢を聞かれることが多いのです。なので、そのあたりのギャップを埋めるお手伝いができればと思っています。

――日本では中東の詳細な情報があまり伝わってきません。ハーショクジー記者殺害事件についても、年明けからパタリと報道が途絶え、結局、真相はいまだにうやむやのままです。アメリカ国内では、事件がどのように捉えられているのでしょうか。

サブラ アメリカでもいまではあまり報じられなくなりました。メディアの関心事は絶えず移り変わっていきますから、政府機関の閉鎖や中国企業「ファーウェイ」の事件、ベネズエラの問題など、新しい問題の登場とともに報道も次々シフトしてしまった。

 もともとMBS皇太子は米国内で、米国がこうあって欲しいと思う人物として捉えられていました。彼が皇太子に就任した2017年の中頃から昨年9月までの報道を振り返ると、サウジを改革する新しいリーダーとして見ている。それはアメリカの願望に沿った人物像でした。

 特に、2017年10月に初めて「砂漠のダボス会議」と呼ばれるサウジへの国際投資会議を開催した際や、2018年3月に長期外遊の一環として訪米した際にインタビューに応じた『ニューヨーク・タイムズ』や『アトランティック』の記事を改めて読むと、非常にポジティブなことが書かれており、期待の高さが伺えます。

 しかし、ハーショグジー事件以降はそうした報道は非常に少なくなりました。やはりネガティブな印象にはなっているのだと思います。

――事件が王位継承問題へ及ぼす影響は?

サブラ これまでもサウジの王位継承を巡って政治が不安定化したことはありますが、その中でも非常にリスクをはらんでいるのが、次の王位継承問題です。石油マーケットだけでなく、それ以外のグローバルなマーケットにも影響しますし、サウジを越えた地域の安定性にも関わってくるので、注目に値する重要なこととして捉えています。

 いまの段階では、MBS皇太子が国王に就任するというシナリオに賭けるのが賢いと思いますが、この10年間の中東を見ていて言えるのは、確かなものは何1つないということです。

 エジプトのホスニー・ムバラク元大統領にしても、リビアのムアンマル・カダフィにしても、彼らが権力の座にあった時、「10年後も彼らがいまの立場にあると思いますか?」と聞いたら、みな「もちろん」と答えていたと思います。しかし、数カ月で失脚した。そういうことが起きるのが中東なので、確かなことは言えません。

 MBS皇太子が確実に国王になる唯一のシナリオは、サルマーン現国王が亡くなる前に息子を後継者指名すること。それがなければ、どんなことでも起こり得ます。サルマーン国王が亡くなった時に他の王室のメンバーがどんな反応を見せるかにかかってきます。

 ただ、その際、ハーショクジー記者の殺害事件に関わったかどうかがMBS皇太子に致命的な影響を与えるかと言ったら、そうはならないと思います。あくまでも、事件のことは、たくさんある要因のうちの1つです。

 この事件が原因で米国とサウジの関係が悪化し、それによって自分たちも被害を被ったと考える王族メンバーがたくさんいれば、もちろん大きな要因にはなりますが、それ以上に王族の中には、MBS皇太子に対して、個人的な反感や恨みを持っている人々がかなりの数いる。もし皇太子に反抗するメンバーたちが彼の王位継承を妨げる動きを起こすとすれば、事件以外のことが原因でしょう。

――サウジ国民は、MBS皇太子やハーショクジー事件をどう見ているのでしょうか。

サブラ もちろん国民の中には、MBS皇太子の改革を「良し」とする人とそうでない人と両方いますが、必ずしも人気があるとは言えません。

 とは言え、サウジは民主主義国家ではないので、民衆がどう思っているかによって政治が動くわけではありません。政治はあくまで、ごく一部のエリートの間で起きる競争によって支配されている。

 一般国民にとって重要なのは、国が安定しているか、きちんと先が見通せているか、どのような将来があるかということ。それ以上のことは、あまり期待しません。

ホーズ 国民と一口に言っても、地域によってさまざまですからね。たとえば西部、南西部の人たちの多くは王室と血の繋がりがないので、自分たちとはまったく関係のない出来事として王室を見ている。中部及び北部の人たちは、王室と血縁関係になくても同じ苗字だったりして、親近感を持っている。彼らは自分たちの問題として王室を見ています。さらに南部や東部には、国民の15~16%しかいないシーア派の人たちが暮らしており、彼らはまた違った視点で国の出来事を捉えている。

 ですので、同じサウジといえども、中部のリヤドと西部のジッダでは王室への関心度がまったく違います。

 そのうえでお話しすると、MBS皇太子のキャンペーンは手っ取り早く若者の人気を得られる一方で、必ずしも広く支持されているわけではありません。彼のやろうとしていること、たとえばガソリンへの補助金カットや女性の社会進出は、どれも政策的には正しいですが、本当に実現できるかどうかは甚だ疑問です。

 なぜなら、彼の改革案の多くは、サウジ国内で前々から必要性が叫ばれていたにもかかわらず、これまで誰も実現できずにきたことだからです。国のシステムを変えるのは容易ではありません。

 また、サウジの人口の年齢分布は現時点でも極端に偏っており、65歳以上が5%以下です。今後も更に若年化の方向に進み、2025年には労働年齢人口が全体の70%を超え、それが長いあいだ続くようになります。この割合は、国際的にみても高い数字です。今後、労働人口は増えていく一方なのに、それに見合った仕事が社会にない。若者の多くには、就職に必要な技能もない。この人口動態と雇用問題にどう対応するかが、サウジの喫緊の課題です。

 だからこそMBS皇太子はいろいろな改革を行おうとしているわけですが、後述するように、これまでのサウジの歴史に照らしてみると、実行するのは非常に難しいと言えます。

――MBS皇太子は石油依存の体質を変える1つの方策として、サウジアラムコのIPOによる投資収益の獲得を掲げています。しかし、昨年8月に延期が決まり、事実上の中止とも言われている。どう判断しますか。

ホーズ 中止はされていない、というのがサウジの公式的な見解です。最近も、エネルギー担当大臣のハーリド・アル・ファーリハ氏が「2021年から2022年にはIPOを行う」と発言していました。しかし……(苦笑)。

 私が思うに、MBS皇太子の最大の問題の1つは、実務経験がないことなのです。サウジの一政府機関すらマネジメントしたことがないのに、ある日、突然、すべてをマネジメントする立場になってしまった。それは歴代の皇太子にはなかったことです。

 彼は、サウジのいろいろな機関や官僚がどのくらい機能していないかということを知りません。いかにもメイクセンスなことを言うのだけれども、それは机上の論理であって、現実的ではない。実際にできるかどうかが判断できないことに、彼の限界がある。

 サウジアラムコの問題についても同じことが言えます。彼はこの会社がどれほど複雑に成り立っているかということを分かっていなかった。恐らくいまもそうでしょう。本体である上流部門以外に、子会社をあわせると200社ほどあり、事業内容も石油から化学、ITまでさまざまです。しかも、子会社の大多数は基本的には赤字で、一般的な上場企業とはまったく違うシステム、会計でマネジメントされてきました。

 それをいきなりIPOで一部の株を売却しましょうと言っても、そもそも国際的な基準に沿うような経営をしていない。そのことを彼はおそらく知らなかったのでしょう。

 過去40年ほどのサウジを見ていると、たとえ問題があると分かっていても、アクションを起こそうというコンセンサスがなかなか取れませんでした。何かを1つ決めるにしても、40~50人の王子が全員合意しないといけない。しかも、彼らの下にはもう40~50人、それぞれのブレーンがいる。これら全員の意見がぴったり一致するなどということはあり得ない。結果、さんざん議論した挙句、何も起きないというのがサウジだった。

 その体質を180転換したのが、MBS皇太子です。彼がトップダウンで物事を決め、それに誰も反論してはいけないという空気をつくっている。これは西側のメディアにあまりカバーされていないことだと思いますが、彼は40年来行われてきたサウジの物事の進め方を壊しつつあるのです。

 サウジアラムコのケースもそうです。本来なら、経営陣と話を詰め、深い議論を交わしたうえでIPOのアナウンスをすべきところなのに、何ら根回しせずにアナウンスしてしまう。とにかく自分が決めたら誰にも文句を言わせないという強引なやり方で物事を進めようとしています。

――ハーショクジー事件でトルコとサウジの関係に変化はあるのでしょうか。

サブラ サウジとトルコはもともと対立関係にあります。「ムスリム同胞団」に対する考え方の違いから、中東はエジプト、サウジ、UAE(アラブ首長国連邦)側とトルコ側とに分裂している。

 そういう構造的な対立がある中で、MBS皇太子はさほど反トルコでも反ムスリム同胞団でもなかったのですが、徐々にその方向に進んでいる傾向がありました。実際、昨年3月に訪米した際、イラン、過激派と並ぶ大きな脅威としてトルコの存在をあげている。つまり、ハーショクジー記者の事件前からトルコに関してネガティブな発言をしていたわけです。

 トルコとしては、自国でサウジの記者が殺されたとなれば、当然ながら自分たちの政治的な利益のために最大限に利用しようとしますよね。トルコ側が決定的な証拠を握り、サウジに対する脅しの材料に使おうとしてもおかしくはありません。今後、トルコにとっての目標は2つあります。1つはMBS皇太子を失脚させること。もう1つはサウジ、UAE、エジプトの対カタール包囲網をやめさせることです。

 一方、UAEとエジプトはアメリカに対して、あまりサウジにプレッシャーをかけてくれるなと言っている。そのロジックは、こうです。アメリカにとってサウジは反イランの急先鋒でもあるので、カタールと何らかの合意に達するようプレッシャーをかけるあまり、サウジの弱さを印象付けるような形で決着すると、アメリカにとっても良くないのではないか、と。アメリカにとっては、強いサウジであった方がいいのではないか、と。それで、サウジにあまりプレッシャーをかけるなと要求している。

――アメリカはハーショクジー事件の真相より、今後のサウジとの投資関係を重視するという姿勢なのでしょうか。

サブラ 答えはタイムスパンで変わってくると思います。短期的には、他に選択肢がないのでサウジとうまくやっていくしかない。報道を見ていても、事件を巡ってサウジを批判する論調でさえ、アメリカとサウジの関係は非常に大事だし今後もパートナーだという前提で、こういう困ったことがあるという書き方をしている。あくまでもサウジとの関係は良好に保つ、というのがアメリカにいま用意されている唯一の選択肢です。

 ただ、長期的にはそんなに楽観的なことは言っていられません。アメリカの中でもいろいろな意見があり、政界にも従来通りのサウジとの関係に疑問を持っている人たちが確実にいる。その一例として、2016年9月、当時のバラク・オバマ大統領が拒否権を発動した「テロ支援者制裁法」(JASTA)を、議会の上院・下院がともに覆して再可決しています。こうした見方をもつ政治家たちが今後、どれほど政策に影響していくかは、注視した方がいいでしょう。そして、言うまでもなく、2020年の米大統領選で現大統領が再選するかどうかは、アメリカと中東との関係を左右する重要なファクターです。

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Foresight 2019年5月13日掲載

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