貴景勝「美人母」と「頑固おやじ」の教育法 やんちゃ坊主を令和の初代横綱へ
普段はLINEで“会話”
「令和」の横綱候補筆頭と言えば、もちろん貴景勝(22)。だが、中学生の時は反抗期を迎え、“ヤンチャ”だったこともあったという。父の佐藤一哉さん(58)と母の純子さん(52)は、いかにここまで育てあげたのか、お二人に聞いた。
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――3月の春場所は、どうご覧になっていましたか?
父親の一哉さん(以下、一哉):先場所は「大関昇進が懸かっている」と言われていましたし、地元(兵庫県芦屋市)に近い大阪場所ということで、彼には相当なプレッシャーだったと思います。実際に私がエディオンアリーナ大阪で観戦したのは5回ほどですが、重圧を振り払い、よくぞ戦い抜いてくれました。
初日と千秋楽以外は負けてしまいました。「私が観戦に行くと、息子は変に意識してしまうのかな?」、「観に行かないほう方がいいのかな?」と悩んだこともありました。
玉鷲さん(34)との取組があった5日目は、枡席で観戦していました。そして息子の土俵入りで、思わず声を掛けてしまったんです。すると結果は黒星。何より彼らしい相撲ではなかったような印象が強くて、声を掛けたことを反省しました。
この件があってからは、新聞社のご厚意でとてもいい席のチケットをいただくこともありましたが、それは親戚にプレゼント。私自身は自由席で見ることにしました。
母の純子さん(以下、純子):私も見る時は自由席の一番上を選んでいます。どうしても緊張して、周囲をうろうろしちゃうので、自由席じゃないとダメなんです。
――お母さんが見に行くと目立つのではないですか?
純子:いえ、気づかれたことないですよ。髪型やメイク変えたり、メガネを付けたりしていますから。むしろ主人のほうがよく発見されています。
一哉:男はなかなか変装しにくい。すぐにバレるんです。
――玉鷲戦の後は、ご夫婦で貴景勝さんに会いに行かれたそうですね?
純子:主人が声を掛けてしまったので、息子は変に意識して、本人らしい相撲が取れなかったように見えました。土俵を降りる時も暗い表情をしていたので、主人が「会いに行ったほうがいいかもしれない」と言い、1時間ぐらい父子で話をしていました。
――4月8日、「スポーツ×ヒューマン」(NHK総合:木曜、25:45〜26:30)で「弱くて楽しくなくて でも信じて 大相撲 貴景勝」が放送されました。番組の中で、貴景勝さんは御嶽海(26)に負けた時のスポーツ紙を壁に貼り、「負け方が悪かった。考えたことが出せなかった」と反省していた場面がありましたが、感銘を受けました。
一哉:彼は歴史が好きで、よく戦国武将の本を読んでいました。あれは徳川家康の故事に倣ったのかも知れません。家康は「三方ヶ原の戦い」(1573年)で武田信玄に敗れた際、恐怖のあまり脱糞するという醜態を晒しました。
そのみじめさを忘れないように、脱糞した時の絵を描かせたという話があります。御嶽海に寄り切られた時の悔しさを忘れぬようにと、彼もスポーツ紙の1面を飾っていたのでしょう。気持ちの切り替えは必要ですけれど、悔しさを持続させて明日につなげようとする辛抱強さも大切です。
――千秋楽の栃ノ心(31)戦は、どちらでご覧になっていましたか?
一哉:近くで見ると負けるというジンクスを感じていたので、千秋楽はゲンを担いで自由席の一番上を取り、会場の中に入るのも止めました。廊下で掃除の女性と一緒に、中を覗き見るような感じで観戦しました。
純子:私も一緒に廊下にいました。
一哉:あの取組は、彼らしい相撲でした。一気に押し切ったでしょ。土俵に入った時は、心拍数200ぐらいで、押し切った時は300ぐらいまでいってたのではないでしょうか……。あの瞬間に死んでもおかしくなかったと思います。
――3月27日、大阪市内で大関昇進の伝達式が開かれました。その口上「武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず、相撲道に精進してまいります」も話題になりましたね。
一哉:四字熟語にとらわれず、彼らしい言葉で語っていたと思います。「武士道精神」はずっと私も教え続けていたことでありますし、「感謝と思いやり」は埼玉栄高校・相撲部のモットーです。あいつの22年間が凝縮した口上だったと思います。
――その後、ご家族でお食事などされましたか?
一哉:後援会の方も交えて、芦屋のフランス料理店に行きました。オール巨人さん(67)や桂小枝さん(63)にも来ていただきました。息子は、高いアワビ料理を、たこ焼きみたいにバクバク食べてました(笑)。人も多かったので、あまり話はできませんでしたけど。
――普段は、どうやって連絡を取っておられるのですか?
純子:私はいつもLINEで連絡しています。場所中は毎日、勝っても負けても、一言入れるようにしています。勝った時に入れて、負けた時には何もないといけないと思って。「負けたから何も入れへんのか」って言われますから。でも、勝ち負けって、やる前に何となく分かるんです。土俵に入ってきた時の顔つきを見ると、「今日は勝つな」、「今日は負けそうやな」、本人が迷っている時は、顔も少しくすんで見えます。
――LINEは、どんな内容ですか?
純子:相撲の話はあまりしません。本人が頑張っていると思うことをほめたり、あと、今日は誰々さんが来ているよと連絡したり。ただ、いつもそっけないですけどね。家から出て行ったのが15歳の頃で、どう声を掛けたらいいのか手探りしているところです
――「もう(今場所は頑張らなくて)いいよ」とLINEされたこともあったとか?
純子:玉鷲戦の後に「もういいよ」とLINEしました。本人は「絶対に大関になってみせる」といって聞きませんでしたけど……。私としては、まだ22歳やし、チャンスはいくらでもあると思っていました。
「自分が大関になることを、両親は期待している」と、息子が思いつめているんじゃないかと感じたんです。身体だけ気をつけてくれれば、いつかまたチャンスは巡ってくる。そんなに頑張らなくていいよ――そういう想いが、ずっと場所中にありました。それは今も変わりません。
それなのに息子は「横綱になりたい」と大関昇進のインタビューでも答えていました。「また自分にプレッシャーをかけているな」と、こっちはいつも心配ばかりです。この子は、いつになったらのんびりできるんだろうと思います。場所が終わると、いつも1週間くらい体調を崩すんです。身体も強いようで、実は弱いんです。
一哉:身体も大きくないし、いつでもフルガチンコでしょ。いつぶっ壊れるかわかりませんよね……。
純子:あの子のことが心配で、ずっと心にモヤがかかっている。夜中に起きてしまうこともあります。ちっちゃいころは、どこか体調が悪かったら、無理やりにでも病院に連れていくことができたけれど、今はそういうわけにはいきません。
取組で頭から当たったりすると、「今すぐ脳神経科に行って!」って叫びたくなります。お相撲さんのなかには若くして亡くなる方もいて、そういう話を聞くたびにガクッと気分が落ち込みます。
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