「認知症」を「予防」する世界初「健脳ドック」の可能性

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 すでに「団塊の世代」が前期高齢者(65~74歳)層に入った日本は、世界でも経験したことのない超高齢社会に突入した。厚生労働省の統計資料によれば、2025年には高齢者人口が3500万人を突破すると見込まれている。

 そしてより深刻なのは、このうち、日常生活に支障をきたす症状を発症する認知症高齢者(65歳以上)が約500万人と推計されることだ。実に7人に1人である。

 こうした状況に危機感を覚え、認知症発症の可能性を早期に発見し、予防する取り組みを始めた医師がいる。今年3月まで順天堂大学大学院医学研究科精神・行動科学教授として長年アルツハイマー病を研究し、順天堂医院メンタルクリニック科長として臨床現場にも携わってきた世界的な第一人者である新井平伊氏である。

 この、世界でも初めての「早期発見・予防」の取り組みのための専門医常駐クリニックを開設した新井医師に、認知症の「予防と治療」の可能性を聞いた。

増えていく「アルツハイマー病」

 日本の頭脳を守る――。

 これは大きな命題ですが、私が認知症という病気、とりわけ「アルツハイマー病」の研究と臨床に取り組んだ40年の経験の集大成として、これから社会貢献を考え、それを実行するためのスローガンです。そのために、昨年11月「アルツクリニック東京」を設立し、この4月から院長として「健脳ドック」の普及につとめることにしました。これこそ私がやるべきことなのだと思います。

 病気には様々ありますが、かつて最も深刻と言われた「がん」の時代から、現代は「認知症」「糖尿病」の時代と言われるようになった。不治と言われたがんも、いまでは早期発見して手術、治療が可能になり、克服できるようになりました。

 対して、超高齢社会に突入し、より深刻な病気と捉えられるようになっているのが「認知症」と「糖尿病」です。このうち「認知症」については、予備軍も含めると日本には800万人の罹患者がいます。

「認知症」というのは状態を表す言葉で、原因となる疾患にはいくつかの種類があります。そのなかで最も多いのが「アルツハイマー病」で、これが6割を占めている。その次に多いのが「血管性認知症」で、ついで「レビー小体型認知症」が多く、あとはその他が少し、という割合です。

 この割合は世界的にもほぼ同じで、高齢化社会になればなるほど、「認知症」、わけても「アルツハイマー病」は老化と関係している病気でもあるため、患者は増えていくと見られています。だからこそ、何とか克服したいと世界中で研究が進められています。

 このうち「血管性認知症」については、脳梗塞など血管障害を起こさなければ発症しない病気です。いわば生活習慣病とも言え、ある程度予防もできる。

 それに比べて「アルツハイマー病」は、いまだに原因が分かっていない、ということが大きな違いです。

 ただ、最近では疫学的な研究から、いろいろな生活習慣でリスクが高まるということが分かってきています。これについては、後でもう少し詳しくご説明しましょう。

従来の「脳ドック」では「発見」できない

 先ほども述べたとおり、アルツハイマー病は老化と大いに関係があります。日本人を対象にしたある研究データがありまして、実はこの結果は世界のどの人種にも当てはまるのですが、男女ともに65歳以上で見ると、年齢が5歳上がるごとに患者の数はほぼ倍増していくのです。たとえば、65歳から69歳までの人口のうち認知症患者は2.2%であるのが、70歳から74歳だと4.9%、75歳から79歳では10.9%となり、80歳から84歳になると24.4%、そして85歳以上では55.5%という結果なのです。

 このデータから逆算して平均寿命を勘案すると、理論上は、少なくとも発症を5年遅らせるだけで、認知症患者はいまの半分に減らせるということなのです。

 患者の数が半分に減るということは、個々人にとっても非常に重要なことですが、何より日本社会全体にとっても確実によいことです。

 超高齢社会の到来で最も懸念されているのは、国家予算のなかで社会保障関連費が膨れ上がることです。とりわけ医療費の増大は確実に見込まれており、そのために他の福祉分野の予算も削らざるを得なくなっています。

 こうした状況下で、少なくとも認知症患者を半分に減らせることがどれほど医療費削減に寄与するかは明らかでしょう。医療費ばかりか、認知症患者には介護の問題も連動します。つまり介護関連費も削減できる可能性が高まるわけです。

 残念ながら、認知症、わけてもアルツハイマー病には根本的な治療法は現在のところありません。

 しかし、現時点でも発症を遅らせる予防(二次予防)はできるのです。

 予防することはどんな病気でも重要ですが、ことアルツハイマー病にとっては、根治ができないだけにより重要で、そのためには、発症可能性をいち早く見つけることが肝心。発症のリスクがある段階、あるいはすでに予兆症状がある「前駆状態」、さらには「軽度認知障害疑い」という段階をできるだけ早期に見つけることで、有効な予防策を講じることが可能なのです。

 現在、全国各地に「脳ドック」を実施するクリニック、医療機関は多数あります。それらでの検査はMRI(磁気共鳴画像)が主です。

 このMRIとは、いわば脳ならば脳の「形」を見る検査です。もっとも多く診断利用されるのは、脳動脈瘤の発見です。これが破裂する前に、脳外科医が手術をする。これが「脳ドック」の主流です。

 さらに、「脳ドック」で認知症を診断すると謳っているところもあります。それはMRIで脳血管障害や脳萎縮の有無を見られるからです。

 しかしMRI検査は、脳梗塞などを主因として発症する「血管性認知症」は発症前や早期に発見できても、認知症の6割を占めるアルツハイマー病には役立たないのです。

 なぜなら、MRI検査で脳萎縮が確認できる段階は、実はすでにアルツハイマー病は発症していると言えるからです。

 つまり、現在普及している「脳ドック」では、アルツハイマー病を発症前やごく早期で発見することはできないのです。

 私自身、大学病院で長年、この状況に悩み続けてきたのです。

実例:「51歳」女性大学教授の場合

 では、どうすればよいのか。

 まずアルツハイマー病の仕組みをご説明します。最初に発症原因は不明で根本的な治療法はまだないとお話ししましたが、発症に関わる重要な物質は判明しています。それが「アミロイド蛋白」と「タウ蛋白」です。

 このタンパク質は健常者にも存在する生理的なものですが、発症の20年前からまずはアミロイド蛋白が脳内に蓄積し始め、神経細胞の働きの障害になり、そのためにアルツハイマー病が発症する、というメカニズムは解明されています。

 つまり、これらのタンパク質がどの程度蓄積されているかを検査することで、発症リスクの度合いや段階が分かるのです。

 このうち、「アミロイド蛋白」については、このアミロイドにだけ反応する特定の検査薬があるので、それを使ったPET検査を行えばリスクの段階が分かります。

 PET(陽電子放出断層撮影)とは、細胞の活動状況や蓄積するたんぱく質を画像で確認する検査方法で、通常はがんなどの診断で利用されます。

 実際、この「アミロイドPET検査」は、日本でも主要都市のごく一部の医療機関で行われています。ただ、それらは検査によりアルツハイマー病の発症リスクを明らかにすることが主目的で、見つけた後にどうしたら良いのか、より専門的な対処方法が具体的に提示されている訳ではないのです。

 そこで私は、この「アミロイドPET検査」を専門に行うクリニックを、認知症の専門医である私こそが自分で開設するしかないと考えたわけです。

 つまり、PET検査でアミロイドの蓄積具合を画像で確認し、他の検査も併用してきちんと診断することは重要ですが、その後にどのような対策をとれば発症を遅らせることができるのかなどの予防策を一緒に考えていくことの方が、当事者にとってはより重要と考えているからです。

 その具体例として、実際にあった患者さんのケースをご紹介します。

 1人は、ある大学で文系学部の教授をされている51歳の女性です。「もの忘れ」などの自覚症状があったため、思い切ってある医療機関で検査を受けた。すると、「心理検査」で「軽度認知障害」が認められ、「MRI」では「軽度(脳)萎縮」が、そして「SPECT検査」(脳などの断層画像検査)で「後部帯状回の血流低下」が認められたそうです。これらを総合的に判断し、その医療機関では「若年性アルツハイマー病」という診断結果が出た。5年後には介護を受ける準備も必要、との説明も受けた。まだ51歳の女性です。相当なショックを受け、悲壮な思いで帰宅された。当然ですね。年齢からして進行も早いと予想されますから。そして治療薬、と言っても根本治療はできないので少しでも進行を遅らせる薬ですが、それを処方され、服用したところ、食欲も低下するという副作用に悩まされるようになったといいます。

 それで諦めきれず、ごく最近、セカンドオピニオンで私の外来を受診された。そして「アミロイドPET検査」を行ったところ、まったくの正常だったのです。

 いろいろな情報をまとめると、この女性は毎日ワイン1本以上を飲まれるほどのお酒好きでした。結果、私どもの診断は「アルコール性健忘症」となり、生活習慣の改善、すなわち飲酒量を減らし睡眠や食事も適度なものに変えるなどした結果、経過は軽快し、今は元気に仕事をされています。

実例:「61歳」男性大企業役員の場合

 もう1人のケースは、ある大企業で監査役をされている61歳の男性。こちらも「もの忘れ」の自覚症状があり、初診。

 すると「心理検査」で「軽度認知障害」が認められ、「MRI」で「軽度萎縮」、「SPECT検査」では「頭頂葉、後部帯状回の血流低下」が認められ、そして「アミロイドPET検査」でもアミロイドの蓄積が認められる「異常」でした。つまり、この方の当院での診断は「若年性アルツハイマー病」です。

 そこで、生活習慣病の治療や生活全般の見直しとともに、脳内のアミロイド蛋白を減少させうる新薬の治験にも参加するなど、より積極的に発症遅延策をとりました。現在経過観察中です。

 ここで何が重要かといえば、2人とも認知症の前段階である軽度認知障害(MCI)でしたが、アミロイド蛋白の蓄積の有無によってその後の治療の戦略が大きく変わったということです。

 そして、私どもの「健脳ドック」では、この検査後に行う専門医ならではの治療介入こそが重要であり、他の施設の「アミロイドPET検査」の場合とは異なるということです。

 一般的に、MCIの2割程度は認知症にならずに正常に回復する「リバーター」と呼ばれる群があると言われています。

 我々の「健脳ドック」では、このMCI群だけでなく、MCIの前段階である主観的認知機能低下(SCD)群や、あるいは健常者の段階でも「アミロイドPET検査」を重要視しており、アミロイド蛋白のより軽い蓄積があるとなれば、積極的に発症遅延の治療介入の作戦を立てることを目指しています。

 アミロイド蛋白の蓄積がない良好な結果であった場合でも、その後にアミロイド蛋白が蓄積しないような予防策を一緒に考えていくことが重要と考えているのです。

 つまり、「アミロイドPET検査」を受けることによって、そしてそれが発症するかなり前の段階であれば、アルツハイマー病を発症しにくくする戦略を組み立てることを一緒に考えていけるということです。

 言うなれば、アルツハイマー病に対する積極的な「攻めの姿勢」をとるということになると思います。

 最初にもふれましたが、これらの事業は40年間にわたるアルツハイマー病の研究と診療の集大成です。「アミロイドPET検査」を含み、検査後の発症遅延をめざした予防介入を専門医が積極的に展開する脳ドックシステムを兼ね備えたクリニックは、当院が日本最初で唯一であり、実は世界でもまだ前例がないのです。

 それもあって先日、中国のある医療学会に招かれて講演をしてきましたが、並々ならぬ関心の高さでした。中国もまた日本に負けず劣らず超高齢社会が進行していますからね。

 ただ懸案は、このアミロイドPET検査薬は限られたメーカーでしか作られておらず、しかも製剤の特徴から、製造後数時間以内でしか使えず、加えて治療ではなく予防のための検査薬ですから保険診療の対象外になるため、費用が高額になってしまうことです。

 しかしこの問題は、受診者が増えることでコスト低下が期待できます。何より、検査段階でも臨床数が増えれば増えるほどデータが蓄積され、より廉価な検査薬の開発ばかりか、アルツハイマー病の解明にもつながることが期待できるのです。

35%もリスクを低減できる

 最後に、では事前にアルツハイマー病のリスクを検知できたあと、どうやって予防できるのかをご説明します。

 世界で最も信用と評価が高い「5大医学雑誌」の1つ『ランセット』という英医学誌で2017年、疫学データに基づいた論文が発表されました。

 それによると、アルツハイマー病の発症リスクについて、まず「中年期」において、

■聴力低下(難聴)を改善すれば9%

■高血圧を治療すれば2%

■肥満を改善すれば1%

 さらに「高年期」にさしかかって、

■禁煙すれば5%

■うつ病にならなければ4%

■運動不足を解消すれば3%

■社会的孤立をしなければ2%

■糖尿病を治療すれば1%

 このほかの改善も併せると、全体で35%もリスクを低減できるとされているのです。

 私たちも、まずはできるだけ早い段階、つまり40代、50代のときに「アミロイドPET検査」で発症リスクの程度を診断し、わずかでもリスク変調が検知されるようであれば、こうした生活習慣の改善プランを具体的に提示していきたいと思っています。

 冒頭で、私が開設した「アルツクリニック東京」では従来の「脳ドック」ではなく「健脳ドック」と名付けたことをご紹介しました。この「健脳ドック」が掲げるスローガンが、「日本の頭脳を守る」です。

 そして、そのためには、個人レベルだけでなく、企業の執行役員の認知症発症予防も重要と捉え、「健脳ドック」がより安価で受診できる会員制健康倶楽部「丸の内倶楽部」を設置し、個人会員(記名制)と法人会員(無記名制)の募集も開始しました。

 繰り返しますが、我々の取り組みによって少しでも多くの方の認知症発症のリスクを半減まで抑え込み、あるいは発症を5年遅らせるだけでも、日本の社会にとって大きな貢献ができると信じています。とくにビジネスリーダーの方々の頭脳をこうやって守ることは、医学によっても今後の日本経済の持続的発展に大きく寄与できると思うのです。

フォーサイト編集部
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Foresight 2019年5月11日掲載

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