「桜田淳子」統一教会・合同結婚式参加で世間は仰天 キーパーソンは姉【平成の怪事件簿】
桜田家の人々
14歳で華々しいデビューを飾った桜田淳子が「自分の意志」で統一教会に入信したのは、まだ歌手として絶頂期にあった19歳のときであった。
統一教会は、16歳のときイエス・キリストから啓示を受けたという韓国人教祖・文鮮明が、昭和29年にソウルに創始した宗教団体である。彼が発見した統一原理は、健全な結婚をして子を生み、神の家庭をつくることを大いに奨励する。しかし、教祖の啓示による信者同士の結婚相手選びや、大スタジアムでの合同結婚式など既成のキリスト教世界とは大きくかけ離れた教義が多い。挙式後、定められた期間床を違えた新婚夫婦が、2夜続けて女性上位で交わったあと、3日目に体位を入れ替える「三日儀式」もその一つだろう。
淳子と統一教会との因縁的な愛憎は、まだ郷里秋田で彼女が「サック」と呼ばれていた12歳当時まで遡ることができる。ある日、地方銀行に勤めていた7歳上の姉恭子が、忽然と姿を消してしまう。桜田家には製紙会社に勤める父金一郎と母ワカの間に、1男2女があった。間もなく、恭子が統一教会に入信したことを知った金一郎は「原理運動被害者父母の会」を結成、自ら会長となって脱会運動の先頭に立つ。
ちょうど末っ子の淳子が、タレント発掘番組「スター誕生!」で、第4回チャンピオンになり、大手プロダクションのサンミュージックにスカウトされた昭和47年ごろ、桜田家の人々は混乱の渦中できりきり舞いしていた。
「統一教会に翻弄された桜田家20年の慟哭」(「サンデー毎日」平成5年5月23日号)によればこの年、合同結婚式に参加するため役場に戸籍謄本を取りに現れた恭子をついにとらえた金一郎は、思い切った措置にでた。彼女を「秋田市北部にある精神科の病院に入れたのだ」という。隙を見て脱走した恭子を再び連れ戻した父は、今度は見張りを貼りつけて監視下におき、宗教活動を封じこもうとした。
普通のサラリーマンであった父と、優等生だった姉が信仰をめぐって相剋を深める日々が、芸能界での活躍を夢見る少女の現実であった。記事には、桜田家をよく知る知人のこんな証言がある。
「(淳子は)両親が恭子のことで苦しむ姿をずっと見ていましたし、初めの失踪騒ぎのときには、統一教会に『おねえちゃんがいなくなって、両親はとても心配しています。どうか、お姉ちゃんを返してください』という内容の長い手紙を書いたりもしてたんです」(カッコ内筆者)
その10月、淳子は同級中らが歌う「ふるさと」の合唱に送られ、国鉄秋田駅から夜行列車に揺られて上京した。年明け2月に早くも「天使も夢みる」でデビューを果たした彼女は、白いエンゼルハットと真夏を思わせる翳りのない笑顔でたちまち人気の波に乗った。そして、3曲目となった「わたしの青い鳥」を大ヒットさせ、暮れの日本レコード大賞新人賞を見事に射止めたのである。同時期にデビューした山口百恵、森昌子と並び称された『花の中3トリオ』は、高度経済成長期の陽気な世相を映し込んだ時代の顔でもあった。
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