60年前、英国は天皇陛下の御成婚をどう見ていたか 機密文書に残る秘話

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式典よりもご病状

 歴史的に各国王室の結婚は、その国の絶好の情報収集の機会でもある。配偶者選びなどで、支配層の対立や内部事情が表面化し易いのだ。
 
 英国政府も過去、外務省やMI6(英国情報局秘密情報部)、民間人などを通じ、情報を集めてきた。
 
 今から95年前、1924年(大正13年)1月26日の昭和天皇ご成婚も同様だった。
 
 当時皇太子の昭和天皇は、この日、久邇宮邦彦王の良子女王と婚礼を行った。

 父親の大正天皇は病弱で、公務に耐えられず、このため3年前から皇太子が摂政に就任していた。
 
 前年9月の関東大震災で、東京は大きな被害を受け、また12月には、若いアナーキストが皇太子の車を狙撃する「虎ノ門事件」が起きていた。
 
 当日、東京上空は軍用機が警戒し、大量の警官が導入されるなど物々しい空気の中の式典だった。
 
 この直後の1月30日、駐日英国大使館は本国にご成婚の模様を報告した。
 
「婚礼の儀式に外国人は招待されなかった。東京の人々は、9月の大災害(注・関東大震災のこと)の記憶が新しく、祝賀会も著しく縮小された」

「婚礼は、皇室が定める神道の儀式に則って行われた。皇太子らは午前9時、住居から東京中心部の宮城へ向かった。良子女王は十二単をまとい、皇太子は古来の装束で着飾っていた。(中略)最近の皇太子襲撃を考慮し、警察は特別警戒を行ったが、当日は不都合な出来事もなく終わった」
 
 大震災と襲撃事件の余波が伝わるレポートだが、この時、在京外交団の最大の関心は大正天皇の病状だったようだ。
 
 3月16日、宮内省は突如、天皇の健康状態を発表した。前回発表は1922年10月なので、1年5カ月ぶりである。
 
 この直後、チャールズ・エリオット英国大使は、ラムゼイ・マクドナルド首相兼外務大臣に機密メモを発信した。
 
 エリオットはオックスフォード大学卒業後、外務省に入省した。中国語、トルコ語など語学の才能に恵まれ、4年前から東京に勤務し、皇太子の弟秩父宮の英国留学実現に尽力したのも彼だ。
 
「天皇の病状は、前回の発表より悪化している。これは、より深刻な病状を明らかにする前段階で、退位準備の可能性もある。(中略)自分(注・エリオットのこと)は最近、上海と香港を訪問したが、現地の外国人コミュニティには、すでに大正天皇が死去していると信じる者もいる。この誤解を日本当局が知り、健康状態を発表した可能性もある」

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