迷宮入りの「悪魔の詩」訳者殺人、問題にされた2つのポイント【平成の怪事件簿】
ひとけのない夏休みのキャンパスで発見されたのは、喉を切られた死体だった。それはイスラム式の「処刑」だった。「悪魔の詩訳者殺人事件」は、平成を代表する迷宮入り事件のひとつである。(駒村吉重 ノンフィクション・ライター)
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イランの最高指導者ホメイニ師が、イスラムを冒涜したとして英国人著者に死刑を宣告した話題の小説『悪魔の詩』の日本語版出版は、その滑り出しから波乱含みとなった。
翻訳者である五十嵐一筑波大学助教授、イタリア人の出版者パルマ・ジャンニ氏らが、東京都内の日本外国特派員協会で開かれた出版記念記者会見に臨んだのは、平成2年2月だった。会場には、在日パキスタン協会のライース・スィビキ会長はじめ、出版に抗議するイスラム教徒の姿もあった。そんななか突如、1人のパキスタン人男性が、マイクを振りかざして会見席に飛び込んでいったのである。
男が取り押さえられるとパルマ氏はすかさず、言論と表現活動の自由を対決的な口調で主張した。すると今度は、ライース会長が、パルマ氏に堂々と「死刑宣告」を突きつけ「会場の空気は緊迫の度を深めたのだった。この異様な展開に「違和感を覚え」た五十嵐助教授は、同年4月号の「中央公論」に「私はなぜ『悪魔の詩』を訳したか」を寄稿し、その真意をあらためて語っている。
「一読者として興味を覚え、かつ一イスラーム研究者としても、同宗教に対する冒涜の書ではないと判断したからこそ、翻訳を引きうけたのであって、何も言論出版の自由、表現の自由のためにひと肌脱いだわけではないのである」
混乱の渦中にありながら、冷静さを見失わなかった44歳の五十嵐助教授が、刺殺体で発見されたのは、会見から1年半ほどが過ぎた平成3年7月12日朝のことだ。五十嵐助教授が倒れていたのは、筑波大学人文社会学系A棟7階のエレベーター前の踊り場だった。左に2カ所、右に1カ所あった首の傷は、ともに頸動脈を切断するほどの深さで、右側の胸や腹など3カ所に及んだ刺し傷は、一部肝臓にまで達していた。当時、中東問題に詳しい評論家の平島祥男氏は、犯人像についてこんな推察をしていた。
「“処刑”であることは殺され方を見れば歴然ですよ。日本人なら短刀でひと突きという方法をとるのに、この場合はノド首を切られてるでしょ。イスラム式の殺し方ですね」(同年7月28日号の「週刊読売」)
ほかに怨恨、右翼犯行説などの可能性も考えられたが、しかしエレベーターの使用を避け、階段で3階まで降り、非常階段から逃走した犯人の消息は、そこできれいにかき消えてしまっていた。
劇団の代表、バンドのボーカルも務めた五十嵐助教授は、執筆や演劇活動を通じて持論を積極的に発信していく行動派として知られ、その講義は、常時300人近い学生が詰めかけるほどの人気を集めていた。「死刑宣告されて危ないんだ」などと冗談を交えつつ、『悪魔の詩』を講義テキストに使うこともあったようだ。
つくば中央署が身辺警護を打診した際には、「本を読んでもらえば、誤解されるようなことはないから心配ない」(「週刊文春」平成3年7月25日号)と、申し出を断っていた。同じ時期、出版者のパルマ氏が、中東風の男に尾行されるなどして、危機感を募らせていたのとは対照的な態度を通したのは、イステム世界に傾けた真摯な研究姿勢への自信があってこそだったと思われる。
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